
津田の集落内に濠をもつ屋敷があった。
宅地部分だけでも1,500坪くらいはありそう。
濠は南側から東側にかけて巡っている。

南側の濠。

南東の角から東側を見たところ。

南側の濠の途中に土橋がある。
主屋は推定だけど、江戸末期くらいで茅葺き寄棟を切り上げて2階化し養蚕に対応させたものではないかと思う。豪農で名家なのではないか。

南西の角。冬場なので水がなかったが、内部の草の様子からほとんどの季節は水をたたえていそう。
こうした濠は敷地内をかさ上げしたり土塁を造ったときに土を掘り取った跡の可能性が高い。以前群馬県の前橋台地で見た環濠屋敷はだいたいそうだった。埼玉県の低地では水が来る方向に濠を作るという話を読んだことがある。だとすれば北側に濠がありそうなものだが、この屋敷の濠は南側で前橋台地で見たのと似たパターンだ。

敷地の西側は土塁があってカシグネになっている。
家の背後はケヤキ、クス、孟宗竹の林。

北西の角。
北側には細い水路はあるけれど、濠というほどではない。ただし北側に空き地があるのでもしかしたら元々そこには濠があったかもしれないと思い、古い航空写真を見てみたが少なくとも戦前まで見ても桑園があるだけで水域はなかったようだ。

屋敷森はかなり鬱蒼としていて外から写真で見ても何もわからないが水塚になっている。
南側の環濠で掘り取った土を盛ったのだろう。
北側に濠を作らなかった理由は、たぶん屋敷森と水塚が水防の基本と考え、濠に水防機能を期待していないからではないか。だとすれば屋敷正面に濠を作ったほうが見栄えもよく、家の格も高まるというものだ。

垣根の切れ目からわずかに水塚の様子がわかる場所があった。塚の上には土蔵が建てられている。
(2023年02月18日訪問)