恵光院

鳥居のある観音堂の内部に濃ゆ~い東北ワールドが展開。

(青森県南部町大向)

旅は青森県に入る。と言っても、岩手県北部の一戸町、二戸市から、青森県の三戸郡にはいるということで、似たような地名が続くので、あまり県境を越えるという実感はない。この一帯はもとは八戸南部氏の領地であり、文化風土的にはひとつの地域と言ってもいいのではないかと思う。

青森県最初の訪問地恵光院(けいこういん)は、南部町の東部の山のすそ野にある寺だ。境内は、薬医門、本堂、庫裏、観音堂、馬頭観音堂、白山社、稲荷社、八幡社、宝物館、ボタン園。

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左写真は薬医門だが、異様。横幅が広いわりに背が低く、屋根がアンバランスに大きい。言ってはなんだが、薬医門なんて普通に造ればどうということのない建築物だと思うのだが、どうしてこんな重苦しいものを建ててしまうのだろう。

万事がそうだというのではないのだが、こういう“洗練されていない重厚感"を散見すると、東北を旅しているんだという実感が湧いてくるのだ。

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本堂の右奥に観音堂がある。入口には鳥居が建っている。

寺院に鳥居というと、一般には神仏混淆という説明がされる。だがこの観音堂の前ではそういう能書きは無意味だと思う。この観音堂を信仰してきた人たちは、あたりまえのことをしているだけで“神仏混淆の伝統を守っている"という意識はないだろう。

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これが観音堂。本来十一面観音が祀られていた堂だ。現在は、十一面観音は裏手にある耐火構造の宝物館に納められている。

観音堂の外壁に無数のお札が貼り付けられている。そして、その内部にはさらにぎょっとするようなものが待っているのである。

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堂内に入ると、おびただしい色彩が目に飛び込んでくる。千羽鶴、洋服、ワラジ、人形、絵馬など。いずれも死者があの世で使うものとして肉親によって奉納されたものである。入口には、「寺に無断でものを納めないように」という張り紙があったが、たしかにそうも書きたくなるのもわかる。

洋服など、ハンガーにかかって整然と奉納されていて、なんだかここで生活できそうな感じだ。

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一角には花嫁人形や供養絵馬がならんでいた。未婚のまま亡くなった死者が、あの世で結婚できるようにという願いを込めて肉親によって奉納されたものだ。

また、人形のあいだに死者の結婚式の様子を描いた供養絵馬が置かれているのも見える。こうした絵馬は比較的新しい習俗で「ムカサリ絵馬」というのだそうだ。「奉納」という文字が左から右へ書かれているのを見ても少なくとも戦後のものだというのがわかる。

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堂の一番奥には、無数の馬の絵が貼り付けられている。

紙に書いた馬を奉納するというのは、絵馬の古い形態である。

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うす暗い堂内で壁を埋め尽くす馬の絵は鬼気迫るものがある。

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観音堂前の小祠の中に納められていた神像たち。

中央の白竜に乗った神像の龍の顔がユニーク。

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十一面観音を納めた宝物館。

十一面観音は十一世紀のものと推定されており、県の重宝(じゅうほう)に指定されている。(「県重宝」というのは全ての県にあるわけではなく、他県でいえば「県文」または「県重文」と同程度の格の文化財。「国重文」に次ぐ格といえるが、「国重文」と「県文、県重宝」との間には、かなりの開きがあると思ってよい。)

(2000年10月04日訪問)