寺町を見るために遠野の市街地に入る。ここから先は地図を見ながら読んでいただくと理解しやすいだろう。
寺町というのは具体的な町名ではなく、寺が集まっている地域という意味だ。封建時代の城下町では寺は一ヶ所に集められて配置されることが多かった。寺院を一ヶ所に集めることで管理がしやすくなるし、また、城下の防衛の面でも役に立ったからである。地図をみると遠野の寺は城下町の西部に帯状に配置されていることがわかる。寺は広い墓地を持ち土地利用が変化しないため、いちど寺を建ててしまえば、路地などにより地割りが小さく分割されることはない。寺の敷地が隣接するように配置すれば、途中に通路のない広い区画が生まれる。地図で寺が帯状になっている地域では東西に行き来できる道がほとんどないことがよくわかるであろう。市街に侵入できる道を限定することで、市街地を防衛しやすくするという都市計画なのである。
寺町は狭い地域だが一回りすればそれなりに距離がある。歩いて巡るか車で巡るか迷うところだが、寺町は観光地ではなくて駐車場には困らないから、すべての寺を車で移動することにした。智恩寺を起点に、対泉寺→常福寺→柳源寺→瑞応寺→善明寺→萬福寺→大慈寺とまわれそうだ。すぐ隣に見える寺に車で移動するのは気持ちの上ではとてもおっくうなのだが、一つ一つの距離は短くても最後に起点まで戻る距離まで考えればそうするのがベストなのだ。(じつは最近、車のトランクに入る折畳み自転車を買おうかと真剣に考えている‥‥。)
スタート地点となる智恩寺。
三間一戸の二重門がある。二重門とは1階と2階の間に屋根のある2階建ての門。(1階と2階の間に屋根がない2階建ての門は楼門といって区別する。)二重門は、やはり正面五間の門に適した構造であり、三間で作るとどうしてもひょろ長くて不安定な印象の建物になってしまう。
逆にその異様さが印象に残るという点では、二重門にしたもの勝ち、ともいえるかもしれないが‥‥。新しい建物で30年はたっていないだろう感じだ。
二重門をくぐって参道を進むと、短い石段を登って本堂が見えてくる。
智恩寺は寺町の寺で唯一、山麓にあるのだ。背後の山には城址がある。
境内は狭く、敷地いっぱいに本堂が建っているので写真が撮りにくい。
本堂のほかに、水盤舎、玄関、庫裏があった。
(2000年10月07日訪問)