鉱山はJR小金沢駅から2kmくらい山に入ったところにある。途中の道路も広く、迷わずにたどり着くことができた。
鉱山の跡は広々とした草地になっていて、管理人が寝泊まりしていると思われる小屋があった。
見学していいのかわからなかったので、一応小屋に立ち寄ってみたが、人がいなかったので勝手に入らせてもらうことにした。
小屋の裏山に登ると精練所の跡がある。それほど荒れておらず、柵や有刺鉄線などもなかった。
大谷金山は昨日見た鹿折金山と同じく、奥州藤原氏の黄金文化を支えた金山だったという伝説を持つ。明治末期に鉱山として開かれ、戦前までに全盛期を迎え、昭和51年に閉山となった。
全盛期には年間に1トンの金を産したという。そのころ従業員は1303名(鉱山住宅580名、通勤723名)という規模であった。従業員の家族まで含めれば、一つの町の規模であったろう。
わずか半世紀の時間の中で、山が町に変わり、そしてまた山に戻ったのである。
水槽の跡か。
一度ちゃんと稼働している精練所を見学してみたいものだ。
精練所の建物はすっかり取り壊されているが、沈殿池はいまでも機能していた。
今でも地下水に重金属などの鉱毒が含まれていて、排水するまえに沈殿させなければならないのだろう。
周囲はあまり人の手が入っていない山になっている。いつかはこの施設も山に飲み込まれてゆくのだろうか。
鉱山の入口には、鉱山資料保存庫という施設があった。管理人がいないため見学できなかったので窓から中の様子を写しておく。
入口付近にあった案内図に書かれた往時の鉱山の様子。
中央の赤い屋根が連なっているところが、精練所の跡、精練所の左上の茶色い窪地が坑道の入口である。
(2001年08月14日訪問)