香林寺

金のかかった境内。山門は室町時代の城門。

(宮城県登米市豊里町杢沢)

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香林寺。柳津虚空蔵尊からは旧北上川を渡った対岸にあたるのだが、そのあたりはJRの鉄橋があるばかりで、車や人は豊里町の中心街まで大回りして渡河しなければならない。こういう不便な地形もめずらしい‥‥。

香林寺の入口付近は大変よく整備されていて、広い駐車場もアスファルト舗装されている。

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参道の両側は芝生になっていて、それも半端ではなく綺麗に刈り込んである。まるで美術館かなにかのようだ。

奥に見えるのは客殿。いわゆる信徒会館。

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参道の左側には単層の鐘堂がある。

かなり立派なもので、単層としては大きな部類だろう。

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芝生の緑が気持ちいい。意外と芝生と寺というのは合うかもしれない。

山門はこけら葺き三間一戸の四脚門。

この門は「月の輪館」という館から移築した城門なのだという。県文に指定されている。

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案内板によれば、(四脚門は通常は中央の柱に門扉をつけるのだが、)前方の扉に門扉がついているのが城門としての特徴なのだという。そういうものなんだろうか‥‥。1540年建立というから、室町末期ということになる。本当なら国重文になっても不思議ではない。

妻飾りは“二重虹梁蟇股"という形式だ。長短二本の虹梁(こうりょう:下部に彫り込みの飾りのある梁)を重ね、間に蟇股を入れた装飾をそう呼ぶ。

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蟇股(かえるまた)は今まであまり詳しく触れていなかったので、簡単に説明すると、上下二本の梁(もしくは桁)の間にあって、上の梁の荷重を下の梁に伝えるための束のような働きをする逆V字型の部材である。(左写真)蟇股は時代を下るにしたがって、か細く装飾過多になっていくが、この門の蟇股は力強く、いかにも古式な感じがする。

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境内には大仏の地蔵菩薩がいる。

そのさらに左手には白山妙理大権現堂という鎮守社風のものがある。いわゆる白山権現である。由緒書きによれば、かつて道元が宋から帰国する前夜にどうしても持ち帰りたい経典があって徹夜で写していたところ、白山権現が現われて写経を手伝ったのだそうだ。

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また大仏の後ろには妙音堂。

文殊菩薩堂か?

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向拝の平虹梁の上にはギンギンの透かし彫りが。

ああ、なんか色までが安っぽいなあ。

この堂、本体の柱は力強い円柱でいい感じなんだが。

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山門前の芝生の手の入りように比べて、本堂はあっけない。まわりも砂利が敷いてあるだけであまり手入れされていない。本堂までお金が回らなかったのか、これから整備するつもりなのか‥‥。

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庫裏も立派だが、山門前の雰囲気からするとやや拍子抜けする。

だが玄関だけは4間の大玄関で、不釣り合いなくらい大きい。

それにしても金ってあるところにはあるもんだというのが香林寺を訪れての感想である。

(2001年08月14日訪問)