香林寺から次に立ち寄る予定の興福寺へと向かうのに、せっかくだからちょっと回り道して登米(とよま)という古い町を通り抜けて行こうと考えた。登米については町並みのガイドブックなどでもあまり良いことが書いてないので、立ち寄らずに車窓から眺めるだけでよかろうと思ったのだ。
ところが、実際に訪れた登米の町は、想像とはまるで違ったハイレベルな城下町だったのである。
城山の正面の“前小路"という通りは両側が白壁で上級武士の武家屋敷が並ぶ壮観な町並み。
これでは立ち寄らないわけには行かないだろう‥‥。
登米は江戸期を通じて一貫して伊達藩の支藩で、明治になるまで伊達家の統治がつづいたのだという。それだけに町並みの熟成度が違う、という感じなのだ。
一般観光客が散策できるような町並みは200mくらい。私のように町並みが特に好きな人間が観賞できるエリアは約500m四方くらいあり、じっくり廻れば半日くらい必要かもしれない。
東北の城下町の町並みとしては弘前、角館、米沢、会津などがすぐに思い浮かぶが、そのいずれと比較しても恥ずかしくない見ごたえのある町並みだった。町並みのガイド本はどうして登米のことを悪く書くのだろう?
白壁の武家屋敷は市街地に点在しているが、はっきりとそれとわかる家は約20軒ほどある。
武家屋敷は現在も人が住んでおり見学することはできないし、女子大生が雑貨などを買い求めるような小洒落た土産物屋もないのだが、そこがまたいいのである。
武家屋敷街の中枢、前小路にある“春蘭亭"。町が買い取った武家屋敷が一軒だけ喫茶店として公開されている。
門を入って正面が玄関になっているという珍しい作りだ。
表通りから春蘭亭を除いた様子。
玄関が丸見えである。
他の武家屋敷の中を除いた様子。母屋の入口は通りからは見えない位置にあるのが一般的な武家屋敷の特徴だ。
町並みの南の半分は、普通の観光客が行かないエリアだが、実はこのあたりにも城下町の匂いがぷんぷんしている。
この垣根の続く通りなど、見れば見るほどいかにも城下町という風情だ。好きな人にはたまらん眺め。
城から少し離れた南のほうの町並み。
前小路の家老級の武士の屋敷とは異なり、比較的身分の低い武士が住んでいたと思われるエリア。
櫛の歯が欠けるように空き地があるが、近年の地方都市の市街地のような荒れた感じにはなっておらず、今のところぎりぎりのところで踏みとどまっている感じだ。次に来るときには印象が変わっているかもしれない。
町の南のはずれは“中町通り"という道で、ここは古い蔵造りの商家が並んでいる。
登米は北上川の舟運の集積地という側面も持っており、明治から戦前にかけては商業でも栄えたことだろう。
町の東のはずれは“九日町通り"という道で、ここは戦前~戦後の中心地なのだろう。
現在も飲食店や衣料品を売る店が並んでいて、このような看板建築もいくつか見ることができる。
登米は江戸から戦後までのいろいろな時代が混在した町なのである。
(2001年08月14日訪問)