続いて、本堂方面へ向かおう。
本堂は方七間の宝形造。正面二間分が吹き放ちになっている。
朱塗り、唐破風、彫り物と、いかにも江戸趣味という感じである。
欄間の彫刻はすべて極彩色で塗られている。(夕方の室内だったため、写真がぶれてしまった。)
本堂の右側には
角大師とは、平安中期の天台僧良源の姿を図案化したもの。正月3日に天台寺院ではこの図案を厄除けの護符として配る。正月3日は良源の命日なのである。
本堂の右側には二重塔が見える。
この二重塔は、一階が吹き放ちで、内部には輪蔵の書棚のような形の六角形の厨子がある。そして、その六角厨子の各面には六地蔵が安置されていて、輪蔵を回転させる要領で回すことができるのである。
こうまで機械装置的な方法で仏像を拝観させる堂を私は他には見たことがない。近世の建築ではあるが非常に興味深いものであり、国重文に指定しても惜しくない物件である。
案内板によれば、厨子を反時計廻りに三回転させるようにと書かれている。一般に仏教の参詣方法は時計回りであるから反時計廻りというのはおかしいように思えるが実はそうではない。なぜなら厨子を回転させている本人はいつも同じ面しか見えていないわけで、六地蔵を拝むことができるのは周りで見ているギャラリーなのである。厨子が反時計廻りに回転することで、ギャラリーから見れば相対的に時計回りに六地蔵を拝むことができるという、実に教義的な装置なのだ。
境内には堂が多い。
境内から駐車場方面にむかうところ。
奥から納札堂、休憩所、鐘堂。ほかに弘法大師堂、弁天池がある。
境内の左のはずれにある鎮守社。
鎮守社とは別に、少し山を登ったところにある飯綱社(の覆屋)。
覆屋が流造になっている。
内部の飯綱社は入母屋の妻入りでこけら葺きだった。
もう夕方で、まともに写真を写すのは困難になってきた。
もともとは長松寺と柳沢寺を見るだけの予定だったのでしかたがない。ムービーの撮影も暗くなってしまったので、いずれちゃんとした時間に再訪して撮影もきちんとやり直したいものだ。
水沢観音をあとにして榛東村付近まで下ってきたころには日も落ちて、あたりはすっかり夕景となっていた。振り返ると水沢観音のある水沢山が美しいシルエットを見せていた。
(2002年03月09日訪問)