寺伝では「神道集」にも登場する伊香保姫が亡夫を弔うために創建したということになっている。おそらく有名な伝説にからめて、水澤寺が古い伝承に関係するというような錯覚を与えるような寺伝を作りたかったのだろう。言うのはタダだから自由だと思うが、そこまで大ボラ話をされると、逆にこの寺はまったく歴史がなくてヤケクソで寺伝を作ったのではないかと疑ってしまう。
とはいえ、水澤寺は観光的要素の充実ぶりからみて北関東屈指の寺院であることはまちがいない。
ところで、西国の絢爛たる仏教文化にくらべて箱根の関所から東にはろくな寺がないという印象があるが、関東には西国にはない特色があると思う。その特色とは、仏堂を審美の対象とするのではなく、強引なまでの機能を付与することで装置化することである。そのわかりやすい具体例が極彩色とさざえ堂だ。
北関東のさざえ堂については、また別の機会に詳しく紹介したいが、北関東にはさざえ堂以外にも、特異に装置化された建築をみることができるのである。
水澤寺には楼門と二重塔という二つの特殊な建築がある。特に本サイトでは参詣者を巡礼路に沿って進ませるようなカラクリ的な建築を「巡礼堂」と呼び、重視して採り上げているのだが、この水澤寺の楼門はかなり巡礼堂に近いものと言えるのだ。よって、ページをわけて楼門だけを紹介したいと思う。
楼門は朱塗り、唐破風付きの江戸趣味な三間一戸の門である。
一階の左右の一間には仁王像が収められている。最近修復されたようで、気持ちがいいくらいにツルツルと光沢を放っている。
造形も力強くて、仁王像としては立派なものである。
そして仁王像の背面の左右一間には、通路側を向いた風神、雷神が安置されている。
つまり、一階部分はすべて仏像が収められているように見える。だがそれがこの門のカラクリ的なところなのである。
実は門の背後に廻ってみると、風神雷神の背後の壁の裏には隠し通路があり、そこから楼上へと登ることができる。
一般的な三間一戸楼門では楼上に登る場合は高欄部分にはしごで登る形式のものが多い。このように仏像の後ろの空間に階段があり、しかも上り下りの二つの階段があるという構造がいかに特殊かは一目瞭然であろう。これはもはやカラクリ的というか忍者屋敷的と言ってもいいであろう。
上りと下りの階段が別にあるということは、参詣者の動きを建物の構造が決定するいうことでもある。このような構造の仏堂をこのサイトでは「巡礼堂」と呼んでいる。
巡礼堂と思われるものは関東以北に散見されるが、関東以西では愛知県の大龍寺五百羅漢堂、徳島県の地蔵寺地蔵堂など数は少ない。どうも巡礼堂は箱根から東の文化のようなのである。
上りの階段。
階段は踊り場のない鉄砲階段で、上ると二階の堂内に出てくる。
二階には釈迦三尊仏像が安置されている。これは門というよりも二階建ての仏堂なのである。
二階の正面からは高欄に出ることができる。そこでは三手先の組み物に触れるほどの距離で観察することができる。意匠は和様と唐様の折衷様式でる。もちろん、江戸建築らしく彫り物や極彩色で彩られている。
部屋の反対側には上りと対象の位置に下りの階段がある。
下りの階段を見下ろしたところ。
楼門の手前には水盤舎。
美味しい地下水がとうとうとあふれ出ている。
水の美味いところには、美味い麺があるものだ。関東では深大寺そばと、ここ水沢うどんが有名どころであろう。
門前には名物の水沢うどんの店が軒を連ねている。何店か食べたことがあるが、不味い店もあって油断ならない。不味い店は本当に不味い。美味いとされている店でも、「値段が高い割に普通」という印象だった。むかしはもっと美味かった気がするのだが、四国で讃岐うどんを食べ慣れてしまったからか・・・。
楼門の前には本坊がある。観光客の姿はなかった。
実は新しい駐車場が山上の本堂付近に作られたため、山門の付近から歩いて参詣する人はあまりいないのである。
(2002年03月09日訪問)