続いて豊川市に移動。三明寺は豊川駅の東側の田園地帯にある小さな寺だ。
豊川町の旧市街はJR飯田線の西側に広がっている。飯田線はほぼ崖線の上を走っているので、その東側、つまり三明寺があるあたりは言ってみれば河原である。かつては水害などで宅地としては住みにくい場所であったはずであり、それを返して言えば、増水時などに上流から流されてくる沃土のおかげで農業には有利な土地だったかもしれない。
そのような立地にある三明寺は、その参道からして典型的な田舎寺である。
あぜ道と見まがう参道には雑草が茂り、境内には桜、カシ、松などが雑然と茂っている。それも、植えてあるというよりは勝手に生えているものもだいぶある様子で、雑木林の様相を呈している。
少し参道を進むと鳥居がある。この寺には弁財天が祀られているからだろうか。
この寺に立ち寄った理由は、室町時代の三重塔があるからである。
塔は小型で、雑然とした境内にあっけなく建っている。塔を残す寺というのは多くは荘厳な雰囲気だったり、あるいは周囲が山だったりと、“塔があってもおかしくない雰囲気"の場所が多いわけだが、たまにこのような田んぼの中の田舎寺の境内に唐突に三十塔が建っていたりすると、逆に強烈な印象を残す。
私のように寺を見るのが好きだと寺の夢を見ることがある。それは思いもよらない良い寺を見つけるような夢だったりする。よく見るのは埼玉か茨城あたりの田園地帯で夕暮れも迫った時間帯に寺巡りをしていて三重塔を発見するというような展開のものだ。たいていそういう夢では、三重塔は小さすぎて境内の木々に隠れて遠くからは見えず、参詣して境内をうろついていて思い掛けなく見つかるのである。だが近づいてみると実は三重塔のようなシルエットをした杉の木だったという結末になることも多い。この三明寺の三重塔はそんなばかばかしい妄想にでも出てきそうな“ありそうにない"場所に建っている塔なのである。
しかし塔は小さいながら意匠もすぐれた名塔である。三層は禅宗様、一層と二層は和様の折衷様式。国重文に指定されている。
三重塔を過ぎると、石の太鼓橋があり、左手に寺務所、その奥に三徳稲荷という鎮守社がある。
参道の突き当たりには寄棟の本堂。一部の瓦が落ちかけていて痛んでいる。
このように高床で、向拝から木口階段で上るような本堂は、参詣者を外陣まで入れるケースが多いような気がする。
三明寺でも本堂にあがることができた。
本堂の中には国重文の厨子(
本堂の右奥には庫裏と鎮守社があった。
(2001年10月07日訪問)