断層に沿って深く切れ込んだ湾があり、町はその北岸にある。
戦国時代に名を馳せた阿波水軍の拠点でもあった町だ。
天然の良港でもあり、現在でも漁業が盛ん。
町は東西に約1.5kmほど続いていて、車道は家と家の間に細い道が1本あるだけ。
この道は岬で行き止まりになっていて、Uターンするには個人宅の車庫で車を回す必要があるため、車での進入はお勧めできない。
私もいろいろ狭い道に車で入るほうだが、初めて来たとき知らずに車で入って本当に後悔した・・・。
車が来ると、、、
こんな感じ!
四輪車の離合はおろか、自転車との離合もむずかしいほど。
こんな道が1km以上続いているのだ。
平地の少ない漁村にありがちな道だし、町の作りも漁村そのもの。
つまり、塀とか庭とかそういったプライベートな屋外空間はなく、家と家が密集して建てられている。
家と家のわずかなすきまから湾と防潮堤が見える。
家々は土地を有効活用するためほとんどが二階屋なのだが、もう一つ、椿泊の町並みを特徴づけているものがあある。
それは家々の外側の建具と、出窓の手すりがどれも凝っていること。
お寺か神社の欄干かと思うような贅沢な造りをしている。
それも、2~3軒そういう家があるというのではなく、ほぼすべての家が凝っているのだ。
デザインはすべて違っている。
ずいぶんとモダンな意匠もある。
この家ははめ殺しの千本格子だけど、腕木が透かし彫りになっている。
どう見ても、普通の民家の意匠じゃないよね。
町並み全体がこんな調子ですごく見ごたえがあるのだ。
立派な木造家屋が続いていると、ついつい「江戸時代にタイムトラベルしたみたい」なんていう人もいるけれど、これはまったくそれには当たらないと思う。
見た感じ、家々は100年はたっていない。
ここは元水軍の根拠地だから城下町的な歴史も持っているが、決して城下町の防御的な町並みではないし、天然の良港を活かした廻船の寄港地として栄えたというふうでもない。あくまでも漁業で栄えた漁村なのだ。
いまも漁業が盛んな町だが、遠洋漁業全盛時のようなイケイケ感はなく、静かな町並みになっている。
引き戸も欄干も素晴らしいし、たぶん、材木などもしっかりしたものを使っているのだろう。
徳島県南の漁村の民家というと、
蔀張造りはわかりやすいので注目されがちだが、実はこのような大きな出窓のある造りが県南の民家を特徴づけるものではないのか。
三階の民家はたぶんこの1軒だけだったと思う。
乳母車か?
ステキな手洗い場。
椿泊は重伝建などに指定されてるわけでもないし、観光客相手のカフェや駐車場などもない。基本的に観光向きではないのだが、町並みとしては非常に見ごたえがあると思う。
(2004年12月29日訪問)