随念寺の境内から西のほうを見ると、なにやら重層の堂のようなものが見えた。
ところが行ってみると、堂の入口にはバリケードが作られており、立ち入ることはできなかった。
いったいこれは何なのであろうか。
たまたま近くを通りかかったおばあさんがいて、話を聞くことができた。
「ここは弘法さんを祀っている○○さんというおうちでねえ。親御さんのころとっても盛大で、ほかにいろんなものを寄付されて、よかったですよ。個人でねえ。(亡くなられて)もう二十年近くなるかなあ、前はおじいさんがしっかりとやってねえ、弘法さんの日にこの近所みんな集めては、いろんなものを作って振る舞って、お経を上げたりしたんですけど。」
どうやらこの大師堂は、鍛冶金という鍛冶屋さんの先代が、個人で建てたものらしい。
ちなみに中京地方では弘法大師の日に、辻堂や個人の家で接待をするという風習があり、一部ではいまも残っている。
木造の建物は先代の鍛冶屋さんのお店だったという。この建物も、もしかしたら鍛冶屋建築として価値があるかもしれない。
阿弥陀堂への入口は、鉄でできていて、工房への入口の雰囲気だ。
残念ながら内部には入れないので、外から見るだけだが、どう見ても寺にしか見えない。
弘法大師信仰があつい三河地方ならではの物件といえるだろう。
外から見えるところには、弘法大師の銅像と、鉄のデコレーションケーキ状の物体が放置されていた。
おそらく宝塔のようなものを作りかけていたのだろう。たくさんの鋳鉄の仏が貼り付けてある。錆びてはいるが、正円のカーブや鉄板の継ぎ目はしっかりしていて、先代鍛冶金さんの確かな技術を物語っている。
扉があるので、中に入れたのかもしれない。完成したらどんなものになったのか、見てみたかった気がする。
敷地内にはほかに多宝塔もあった。
(2002年02月11日訪問)