赤城山の中腹を農免道路という道が周回しているが、その道路よりも標高の高い場所はもう開拓地で高原地帯の雰囲気がある。
その開拓地のような地形の道を登っていくと、唐突に金丸の稚蚕共同飼育所がある。
現在は大熊商店という会社の倉庫として使われているようだ。
間取りは直線型だが、これまでに見たタイプよりも大型で、小屋組みは木造トラス、換気塔は5基あった。
主出入口は北側。
外周には控え壁が飛び出しており、内部は木造トラスになっていることが想像できる。
建物南側には更衣室が残っていた。
飼育所内で挫桑(桑の葉を細かく切ること)や給桑などの作業でカイコに接する作業者は、まずここで白衣に着替え、長靴に履き替えてから飼育所に入ったという。もちろん長靴は毎回消毒したことだろう。
更衣室の長押には白衣をかけるためのフックが並んでいて、名前が書かれている。20人分くらいあっただろうか。
この飼育所では、主出入口から少し中を覗くことができた。架構は想像通り木造トラスだった。倉庫として使われているのは半分程度。残りの半分には蚕棚が残っていて、稚蚕飼育所が使われていたときの状態がよく保存されていた。
蚕室は深山で見たのと同じ、ブロックで区切られた小部屋タイプのムロで、加温方法は電床式。ムロの戸は両面紙張りの障子ふう。特徴的なのは、ムロの床には電熱線が埋もれるくらい床砂が敷き詰めてあることだ。砂に水を含ませた状態で加温し、ムロの中を稚蚕が好む高温多湿状態にするためのものだ。ただ温度を上げたのでは相対的に湿度が下がるので、高温多湿状態にするには暖めるだけでなくかなりの水分が必要になる。
このようにムロに床砂を敷く方式は電床式蚕室の中でも古い形態ではないかと思う。
木造トラスといい、床砂式のムロといい、比較的古い形態をよく残しており、できればちゃんと中を見学させてもらいたい遺構だった。
(2007年01月14日訪問)