私にとって、石井という地名は富士見村の地名のなかではなじみのある地名だ。というのも、前橋の市街地から石井までは通称「石井県道」と呼ばれる道が通じており、市街部では商店街になっているからだ。今はどうかわからないが、私が幼少のころは2車線で歩道も駐車場スペースもない街道に沿って多種多様なお店やレンガ造の繭倉庫が延々続いているような、前橋には珍しい“街道筋"の街だった。私は子供ながらにそういう街道の雰囲気を感じて、自転車で遠乗りするときなどに好んでこの商店街を通っていたのだった。
その石井県道の行き止まりが、富士見村の石井なのである。
石井一区、二区をチェックしたが飼育所らしきものは現存せず、三区にきてようやく遺構を発見した。
現在は住宅として使われているようだが、換気塔は往時のままで屋根は葺替えられてはいないことがわかる。
配蚕口は北側。外壁はブロックの上にモルタルを補修したようで、とてもきれいだ。
小屋組みはおそらく軽量鉄骨。
北半分は住居ではなく、今は倉庫かなにかになっているようだ。緑色にぬられているのは、かつては北半分が富士フィルムの現像所だったため。
南半分は、現在は住居なのだが、写真の扉の様子から想像するに、スナックだったのではなかろうか。
現像所やカラオケスナックなどは飼育所の構造からして転用に向いていそうだ。
西側は全面的にアスファルト舗装されているので、飼育所としては使いやすかったであろう。
人の住居なのであまり覗かなかったが、南側にある付き出した小部屋はおそらくトイレ。
中央に見える水槽は飼育室内に入るときに、長靴を消毒したりしたのではないか。
このひさしのある一角には、配管のようなものが残っている。ここで用具の洗浄などもしたのではないかと思われる。今までに見た飼育所のなかでは、衛生管理面でも優れているように思う。
中央に見える住居への玄関になっている場所はもともとは壁だったのではないかと想像する。
なぜなら扉のある区画の屋根に換気塔があることから、ここは飼育室区画だったと思われるからだ。
住居の玄関からさらに3間北側にもう一つ扉がある。この区画は柱間が半端で、上部に換気塔もないことから元々出入口があったのではないかと思う。
直線型の飼育所で、飼育室の途中に出入口があったと思わせる物件はこれまでになかったので、新しいタイプだ。
私がこれほどまで飼育所の入口にこだわるのには訳がある。飼育室の構造と共に、桑の搬入方法にもパターンがあるのではないかと想像しているのだ。そして、そのパターンがあわよくば年代判定に使えないかとも。
飼育所の周囲は里山になっている。夏には子供たちが虫採りをしたりできそうな林だ。
道に沿って小川が流れていて、訪れたのは冬だというのに清廉な水が豊かに流れていた。赤城山の伏流水が石井の辺りで湧き出しているのだろう。
赤城南面のすそ野は火山灰の台地で水の得にくそうな土地に見えるのだが、昔から集落がある場所には、たいていこのような水があるようだ。水車小屋でもないかと思って、ついでに目を凝らしていたのだが、残念ながら今回の旅では水車小屋を見つけることはできなかった。
(2007年02月11日訪問)