次の目的地、甘南備神社へ向かう途中、首無地蔵という気になる看板があったので入ってみた。
するとそこには土産物屋が並ぶ門前町があった。
どうやら
流行り神というのは、既存宗教の本流でない神仏や行者などに不相応に多くの参詣者が押し寄せる宗教現象である。たいていは、現是利益的な霊験が口コミによって広まることで発生する。
以前の旅で、岡山県伊原市の嫁いらず観音院という流行り神を紹介したが、県境を越えているとはいえ、山陽道沿ったかなり近い場所に2つも流行り神があることになる。
案内板によれば、次のようないわれがあるという。首無地蔵はもともとこの地にあった石仏で、歯痛を治すとされていたが、昭和45年ごろの道路工事で地中に埋もれ一時は忘れ去られていた。ところが昭和52年、町内に住む東寿男氏の夢まくらに立って、自分を掘り出すようにと告げた。氏は畑に埋もれていた地蔵を見つけ出し祀ったところ、腰痛などの持病が治ると評判になり、多くの参詣者が集まるようになったという。
地蔵が掘り出されたころはこのあたりは畑で、あまりに参詣者が多くなったので50mほど山上に移して現在の伽藍を作ったのだという。
境内は細長い。
入るとすぐ左に水盤舎があり、切妻平入りの細い本堂がある。
本堂の中にはたくさんのベンチが並んでいる。これは大祭などのときに信徒が座るのだろうか。
日本の仏教の場合は、立った状態、あるいは正座や胡座で祈祷するのが一般的だから、このようにベンチに座るということはない。既存宗教の枠組みとは異なる、流行り神らしい本堂の形態と言えるだろう。
本堂はそのまま通り抜けられるようになっていて、その先に地蔵堂がある。
もともと地蔵堂があり、その手前に礼拝堂が作られたのかもしれない。
首無地蔵は秘仏というわけでもなく、飾り気もなく祀られていた。
地蔵堂の背後には地蔵会館という信徒会館があった。
信徒会館の手前には鐘堂。
さらにその手前には絵馬堂、兼、信徒休憩所があった。
この絵馬堂の横が境内の出口になっている。
本堂が通り抜け構造になっていて、本堂裏手から出てきた参詣客の動線は、自然にこの細い通路へと導かれる。
初詣などの参詣者が多いときは一方通行となるのかもしれない。
出口から出たところは細い路地で、ここにも店があった。
こういう商魂たくましい構造、私はかなり好きだ。
参道を少し下ったところに、首無地蔵が掘り出された場所があり、そこにも売店がある。やや寂れ始めているが、熱狂的な信仰が長く続かないのも流行り神の特徴のひとつだ。
「鉄と流行り神はアツいうちに打て」と言うように、信仰が篤いうちに参詣するほど御利益が得られるというものなのだろう。
土産物屋は全部で4軒。
最上稲荷などの年季の入った流行り神は別として、昭和末期に発生した流行り神が門前町を形成するというのはすごいことだ。最盛期にはどんな状態だったのか見てみたかった。
(2002年08月26日訪問)