白川という地域は広いが、どちらかというと白川の北端に近い標高の高い場所にある飼育所。
敷地は尾根にあり、一日中陽があたるような好立地。住宅地としたら最高の立地条件だろう。
建物は見るからに古いが、大棟に気抜きの越屋根がなく、また、ベンチレータもないという点で、赤城の南面で見てきた飼育所とは様子が異なる。
気抜きの越屋根を潰して、普通の切妻に直すというのは大変な工事だからそんなことをするとは思えず、この飼育所はもともとこのような外観だったのではないかと思う。
西側に宿直室がある。下見板の壁面は、創建当時のままであろう。
右側の引き違いの桟戸が作業者の出入口で、中は更衣室だったのではないかと想像される。
南側から見たところ。
赤城南面のブロック電床育の飼育所にみられたような、細い高窓ではなく、大きな引き違いのガラス窓になっている。また壁もブロックではなく、漆喰で仕上げられた土壁のようだ。
赤城南面であれだけたくさんの飼育所をみたのに、榛名南面に来たら、とたんに違った様相が見えてくるというのは、ワクワクするではないか。
内部は木工所として使われているようだった。
おそらく土室だったと思われるが、室はすべて取り壊されて、大きな室内空間が確保されていた。
西側の入口の中の様子。
青く見えるのは挫桑機だ。
木工所になっているのに、養蚕時代の道具が捨てられずに置いてあるのが不思議だ。
宿直室の床下。
おそらく地下に貯桑室があるのだろう。
壁面の下部を見ると、土管を埋めた跡が見える。
これは内部にかつて土室があったこと物語っている。
敷地にも素焼き土管が転がっていた。
おそらく土室の上の気抜きの煙突だったものが、室を取り壊したときに捨てられたものだろう。
こうした廃材ひとつでも、気がつけば飼育所の歴史を推理する材料になる。
さらに、電床を発見。
つまりこの飼育所は、木炭や練炭を使用した土室育の飼育装置でスタートし、途中で電熱による電床育に切り替わったのだ。
土室を改造して電床育にした飼育室を「土室電床育」と言うようなので、それと区別するために、このサイトではそれ以前の土室育の方式を「土室炭火育」と呼ぶことにしようと思う。
蚕座を消毒した消毒槽も残っている。
他にもなにかコンクリートの基礎があったが、これは養蚕に関係したものなのかはわからなかった。
トイレの跡かもしれない。
(2007年05月05日訪問)