3箇所で飼育所が見つからず、4箇所目の飼育所を探しているときに、たまたま立ち寄った農家、一倉家。
先々代は「一倉飼い」という屋号の種屋(子飼い?=他家の稚蚕の飼育)もやっていたという大きな養蚕農家で、訪問時にも養蚕を継続していた。
主屋は昭和8年築で、4.5間×9間で左勝手。切妻の巨大養蚕農家の典型的な寸法は5間×10間だが、一倉家では材木をすべて屋敷林から切り出したため、木材が足らず少し小さくなってしまったのだという。
一倉家には自家用の土室があるというので見せてもらった。
土室は主屋とは離れて建てられていた。
内部はいまは押入れのように使われていて、室内は私物が散らかっているとのことで見せてもらえなかった。
下部に素焼き土管があることから、炭火育の土室として作られたことがわかる。
この室(むろ)を使っていた時代の末期には、すでに電床育が登場していたが、「炭で覚えたから」といって最後まで電床は使わなかった。
主屋の2階が上蔟(じょうぞく=カイコに繭を作らせる)室になっているというので、見せてもらえることになった。
子供のころ、田舎で飼育中の蚕室に入らせてもらったことは何度かあったが、物心ついてから現役の養蚕農家の蚕室に入ったのは初めてだ。
そして、考えたくはないが、これが私が群馬県で現役の養蚕農家に立ち入る最後になるのかも知れなかった。それほど、急激に養蚕は縮小しているのだ。
写真の天井部分は3階への入り口。いまは、3階は使っていないそうだ。
最盛期には、1回20箱(箱=蚕種の仕入れ単位で、この話の時代は1箱は2万頭。現代では1箱は3万頭になっている)で年5回の飼育をしたといい、そのころには3階もフル稼働したことだろう。
訪れたのは5月1日だから、最初の飼育「春蚕」がもうすぐ始まる時期だ。上蔟室はきれいに片づけられていた。
このとき、私は稚蚕飼育所にフォーカスしていたので、壮蚕飼育についてはあまり質問もできなかった。今だったら、ここに片づけられている道具のひとつひとつに注意して、知らないものについては質問できるだろう。
一倉さんは、カイコのいるときに見においでと言ってくれたのでチャンスがあれば飼育中に訪問したいと思っているが、群馬は遠く、残された時間はあまりに少ない。
(2008年05月01日訪問)