榛東村の住所は、字の地名のほかに農区でも別れている。かつてはその区の名前を冠した稚蚕飼育所が各区にあった。山小田の飼育所を出てから、空振りに終わった飼育所は、「9区」「10区」「15区」「14区」「17区」。ほかに名前を持っていたと思われる、「八幡」「宮室」も見つからず、8度目の正直が広馬場稚蚕飼育所であった。
建物は壁面の上部に換気扇と高窓が並んで付いている。"判断に迷う"構造だ。
どう"判断に迷う"かというと、高窓はブロック電床育方式の特徴であり、壁の換気扇は大部屋方式の特徴だから、どんな方式だったのかが推理しにくいのだ。
だが、おそらく大部屋方式だったのではないかと思う。
現在は建築会社の資材置き場になっていた。
会社の人がいたので話を聞いたが、どのように使われていたかは知らないという。内部は資材が置かれていたので覗くのはちょっとはばかられた。
現存する飼育所の隣の敷地にもかつて別の建物が建っていたという。地下は貯桑室になっていて、その面積からして二列型の大規模な飼育所だったと思われる。
ここにあった建物は木造で倉庫には適さなかったのではないだろうか。
地下の貯桑室からは階段があって、隣の建物につながっている。建物の壁面には「榛東村農協人工飼料育稚蚕共同飼育所」と書かれている。
私が訪問した時点では、すでに稚蚕飼育所としての役割を終えていた。養蚕のあと椎茸栽培施設となったようだが、それもこの時点で利用されてるのかどうかはっきりしない。
人工飼料育とは、桑葉や大豆などで作った芋ようかんのような飼料で稚蚕を飼育する方法。天然の桑葉は一切用いない。殺菌された餌だけを使うので、幼虫が雑菌やウイルスなどに冒されるリスクが少ない。
この時点での群馬県の稚蚕頭数は、97%が人口飼料育であり、むしろ天然の桑葉で飼育している稚蚕は希少なのだ。私が見て回っている、稚蚕飼育所跡はほぼすべて天然の桑葉で飼育する「全葉育」方式だった施設だ。
いつかは人工飼料育の施設を見て回るときが来るのかもしれない。
近くに桑畑があった。
奥に見える新芽のついた背の高い株は2週間後(5月中旬)に始まる春蚕飼育用。昨年残してあった枝から芽吹いたものだ。
手前の切り詰められた株は、おそらく7月中旬から始まる夏蚕飼育に使うつもりのものだろう。飼育が始まるころには2mほどの長さに育つ。
こんなふうにひとつの畑を細かく使い分けるのは、養蚕の規模が小さくなってしまったことを物語っているのだと思う。
そして、この桑畑のもうひとつの観賞ポイントは、刈り取られた株の低さだ。このように株を低く刈り込む仕立てかたを「根刈り(ねがり)」という。根刈りは、積雪がなく比較的暖かい地域の特徴とされている。
以前に、もはや桑畑は産業遺跡の一種とみなさなければならないと書いたが、あの頃から比べたら少しは桑畑の見方がわかってきた。
(2008年05月01日訪問)