次の飼育所へ向かう途中、楼門が見えた。
これまで何度か書いているが、私は学生時代に群馬県の楼門をすべて見たのではないかと思っている。それからもうずいぶん時が経ったので、新しい楼門が建つこともあるわけだが、見かけた以上は立ち寄らないわけにはいくまい。
遠目にそれなりの大寺に見え、後ろに山を背負っているので雰囲気はよい。ただし、門前の桜の樹のためにせっかくの楼門が見えにくくなっているのが惜しい。
楼門の前の石畳は一直線に本堂まで続いている。禅宗の本堂は必ずしも伽藍の中心線に乗っている必要はなく、むしろ軸からずれているほうが適切といえる。(この説明は、歴史の教科書に書いてある鎌倉仏教の伽藍配置の説明と反しているが、あちらは仏殿の配置であって、本堂の配置についてはこれで正しい。そしてむしろ日本の大多数の普通の禅宗寺院ではこのほうが普通だ。)
なので、桜の樹を避ける意味で、薬師堂の右側に参道と楼門を配置してもよかったのではないかと思う。
楼門は仁王門でまだ新しい。
屋根は銅板葺きで意匠は唐様。全体の姿は背が高めで、細かな部分では木鼻が獅子になっているようなごてごてした感じが私の好みではない。でもこれが北関東の特徴なのかもしれない。材木はケヤキのような木目の何か。チークだろうか。
金剛力士像はクセがなく、工業製品のような感じ。
楼門の右前には土蔵造の薬師堂がある。
これは内部の様子。
楼門を過ぎると直線的に本堂に突き当たる。
参道の途中左側にはクスノキや梅畑が続いている。
よく見ると、石畳が少しだけ中心からずれていた。
本堂はRC造。左側に見える六角堂はおそらく位牌堂ではないかと思う。
背後の山はスギとコナラでかなりの面積の森。
本堂の右側には庫裏。
本堂と庫裏の間にあるのは書院だろうか。
境内には椎茸典座の逸話を再現した石像があった。以前に静岡県の石雲院でも似たものを見たことがある。典座とはお寺の食事係である。炎天下で老僧が椎茸を干しているのを見て、道元が問いかける場面。
道元「如何ぞ行者、人を使はざる」
典座「他は是れ吾にあらず」
道元「天日且つ恁のごとく熱し、如何ぞ恁地にする」
典座「更に何れの時をか待たん」
この問答は、石雲院でもよく理解できなかったので改めて考えてみた。
案内板などでは「他は是れ吾にあらず」は「他人にやらせては自分の修行にならない」、「更に何れの時をか待たん」は「熱い日に干さずにいつ干すのか」という意味だと説明されている。
これ、自分なりに読んでみると「他不是吾」にはいろいろな意味を重ねることができる。他人の修行を見てあれこれ考えるのでなくて自分がいまできる修行をしなさい、と典座は言ったのかもしれない。
(2008年05月01日訪問)