機足集落には大きな蚕室が目立つ。
「
農民が自由に建物を建てられなかった江戸時代には母屋の中で蚕を飼うのが普通だった。明治時代になり、農家は母屋を巨大化、多層階化させたが、生活空間との分離が不十分で、季節になると部屋の畳を上げて飼育室にするという状態だった。
蚕室という専用の建物が登場したのは、母屋の巨大化の次の段階だったのではないかと思う。蚕室の分離により、日常の生活空間を犠牲にすることなく、より大量の蚕を効率的に飼育することができるようになった。
これが群馬で養蚕が最も花開いた時代を伝える景観なのである。公園内にポツンと移築された江戸期の養蚕農家からは決して見えてこないものだ。
このように、道沿いに巨大な蚕室が連なる町並みが群馬県には何ヶ所かある。どれもいわゆる歴史的町並みとして評価されている場所ではないので、遠からず消え行く運命だろう。
(2008年05月02日訪問)