大久保集落のはずれに大型の稚蚕共同飼育所があった。
この飼育所で働いていたというおじいさんから話を聞くとができた。15年くらい前まで使われていたそうだ。この飼育所ができたころ、同じような大型が飼育所は1~2年のあいだに一気に増えたのだそうだ。
とても大規模に飼育できたので、大久保だけでなく、近隣の集落の稚蚕も依託で飼育したという。飼育料金ははっきりとは覚えていないが、1箱(10g=2万頭)で、3,000円くらいだったのではないかとのことだった。
現在、周囲は杉林になっているが、これがもともとの風景なのかはわからない。こうした大型の飼育所が建てられたのは昭和40年ごろだから、その当時に植林された杉はもう樹齢50年近くになる。当時はもしかしたら広々とした段畑が続く風景だったかもしれない。
これまで大部屋方式と思われる飼育所をいくつか見てきたが、ここでは初めて飼育室の内部を見ることができた。
扉が開いている場所が飼育室。左側には窓が見えるが、これは機械室の窓のようだ。つまり飼育室は、建物の中心ではなく、右側に寄っている。
飼育室内部はまったく窓がなく、換気は壁の上部にある換気扇のみ。補温のための装置は見当たらないが機械室があるようなので、重油によるボイラー方式だったのではないだろうか。
土室やブロック電床のように、押入れのような場所で稚蚕を飼育する方法を「小部屋式」、それ以外の方法を「大部屋式」と呼ぶ。この飼育室は大部屋式である。
大部屋式は戦前からあったが、特に昭和38年以降に登場した室温がオートマチックに管理ができるようになったものを「空調大部屋方式」という。
空調大部屋方式の最終進化形態は、蚕がコンベアにのって移動する「空調大部屋・機械式」である。それ以前の形態で、単に広い部屋に棚が並んでいて人間が手作業で給桑するタイプの飼育所は「空調大部屋・棚飼い式」と分類できる。この飼育所は「棚飼い式」だったようだ。
(2008年05月03日訪問)