続いて、飼育棟での飼育の様子を紹介する。左図のピンクの部分だ。(拡大図)
この碓氷安中農協の飼育所には、本来は3つの生産ラインがあって、1ラインで1,000箱、つまり合計3,000箱の稚蚕を同時に飼育できる設計だった。ここでいう「箱」というのは、稚蚕の取引の単位のことなのだが、時代や地域によって考え方が変わるのでやや混乱しがちな単位なので注意が必要だ。
かなり込み入った説明になってしまうが、あまりネットにはない情報なので、細かく解説しておこうと思う。
箱というのは、蚕種会社(カイコに卵を産ませて販売する会社)が、「
1箱の頭数は飼育作業の最小単位に影響を与える。稚蚕を飼育するための飼育台「
さらに、平成8年には農協系の稚蚕飼育所で3齢の途中まで育てるようになり、もはや「1箱=2万頭=蚕箔1枚で2齢まで飼育可能」という単純な計算はまったく成り立たなくなってゆく。3齢まで飼育すれば2齢よりさらに面積が必要になる。蚕箔1枚で3齢まで飼育できる頭数は1.4万くらいだという。そこで、蚕種会社からは1.4万頭単位で出荷してもらうようにして、それを0.5箱と数えるようになった。1箱2.8万頭という数字は、機械式飼育所の蚕箔2枚分が基準となっているのだ。
ここまででも複雑なのだが、さらに混乱に拍車をかけるのが、群馬の農協が農家に出荷するときの1箱は3万頭だということだ。飼育所では、蚕種会社から届いた0.5箱=1.4万頭のカイコに、配蚕の直前に少し加えて1.5万頭に調整してから出荷しているのである。この調整作業を「振り込み」という。
箱という単位は、ほんとうに注意が必要なのである。農家が「ウチはむかし10箱育てていた」というとき、時代によって20万頭~30万頭の揺らぎがあることを知っておかなければならない。
確実を期すなら、卵のグラム数でとらえたほうがいいかもしれない。古い時代の1箱2万頭は約10g、現代の1箱3万頭は約15gに相当する。
前説が長くなってしまった。ここから掃き立ての様子を紹介しよう。
この飼育所は完全に人工飼料のみを使って飼育する。桑の葉はまったく使わないのだ。人工飼料は、給餌作業を機械化して作業量を軽減するとともに、畑から雑菌やウイルスを持ち込む恐れがないというメリットがある。
左写真は飼育が始まる前に、人工飼料を飼育所内に搬入する作業「餌入れ」の様子。搬入口はトラップになっていて、消毒液を潜らせるという念の入りよう。
これが群馬県で使われている人工飼料「くわのはな」。巨大なようかん状のものだ。
群馬県稚蚕人工飼料センターで製造されている人工飼料で、他県にも出荷されている。
材料は、桑葉、でんぷん、大豆粉末やビタミンなどの栄養素。1齢用、2齢用、3齢用の3種類がある。
飼育室の隣に保冷室があり、搬入した人工飼料を入れておく。
これまで私が見てきた飼育所は、いずれも地下に貯桑室をもっていて自然の温度で葉の鮮度を維持したが、人工飼料育では電力での保冷になったわけだ。
おそらく、人工飼料育の飼育所は常に電気保冷庫があると考えてよいのではないだろうか。
掃き立ての日の保冷室の様子。
1齢で食餌量が少ないことと、現在は1ラインしか稼働していないことからだいぶ余裕がある。
いよいよ「
現在、群馬県で使用する蚕種は、長野県の蚕種会社から届く。群馬県内にはもう蚕種会社は残っていないのだ。
カイコの品種には、全国どこでも手に入る品種と、県外不出の群馬県オリジナル品種があるが、いずれもいったん蚕種会社を経由して飼育所に納品される。県外不出の品種は、群馬県内で採卵したものを蚕種会社に送り、孵化日の調整を蚕種会社が行なうのだ。
このシート状のものが、従来の「箱」に相当するものだ。先に説明したとおり、現代の群馬県の飼育所では、この1シートに1.4万頭の卵が封入されている。
蚕種会社は、注文した日ぴったりにカイコが孵化するように、温度や光などで孵化日を調整する技術をもっている。
白い面に張り付いている黒いものがカイコの幼虫で、もう卵から孵化して動いている。白い玉のように見えるのは、輸送中にカイコが圧殺されないように入れてある発泡スチロールの玉だ。
「掃き立て」とは、現代ではカイコの飼育の初日のことを言うが、その語源は、卵を貼り付けてある台紙から羽ぼうきで幼虫をはらい落とすところからきている。
現代でも、シートをめくるときにこぼれ出た幼虫を集めて羽ぼうきで掃く所作が見られる。こうした道具はむかしから変わっていない。
写真の緑色の枠が「蚕箔」。蚕箔の上に薄茶色の「蚕座紙」という紙を敷き、その上にさらにパラフィン紙の「防乾紙」を敷いて、その中央にシートを置く。
この蚕期の掃き立てでは、数種類のカイコの品種を扱っていた。品種が切り替わる蚕箔にはこのようにメモが置かれる。
メモにある「新小石丸」という品種は、日本種の「小石丸」という原種と、中国系の2系統の交配種を掛け合わせた品種になる。つまり3種類の原種を掛け合わせたもので、群馬県のオリジナル品種。原種の「小石丸」は皇居御養蚕所で飼育されているので有名だ。
蚕箔はベルトコンベアに載って、給餌装置へと送られていく。この給餌装置は「チウオウ切削型」と呼ばれる機械らしい。
巨大なおろし金のようなものがセットされていて、くわのはなを刻んでゆく。このおろし金の穴のサイズも、1齢、2齢、3齢用があって、交換できるようになっている。齢が進むにつれてカットする餌のサイズが大きくなる。
給餌装置の全景。右奥がおろし金が動いている部分。左側から人工飼料をセットする。
掃き立てのときは、まだカイコが狭い面積に集まっているので人工飼料は中央に1列だけ並べてある。
掃き立て作業の全景。
右側にシートを開封して、蚕箔に載せる係がいる。
蚕箔はそのまま左に移動して、餌をならす作業者のところに動いていく。自動給餌機から振り落とされた飼料は、落下の勢いで飛び散ったようになっているので、作業者が箸で整えなければならないのだ。
作業者は散らばった飼料をカイコの上に集められていく。これはけっこう腰に負担がきそうな作業だ。
作業者が持っているのは塗り箸。これまでの飼育所めぐりでは、祖母島の飼育所で箸が備え付けてあるのを見たことがある。
しばらくすると、カイコは飼料の上に移動して餌を食べ始める。
まるで蟻のように見えるので、卵から孵ったばかりの稚蚕のことを「
写真の黒い台は、作業者がラインの中に入るための横断橋だ。
給餌作業をする部屋に出ている蚕箔は10枚程度。残りは隣にある飼育室に収納される。室温を自動的に調節できる大部屋方式の飼育所は、ここのような「空調大部屋・機械式」と、妙義町で見たような「空調大部屋・棚飼い方式」に分類できる。稚蚕1齢の飼育は温度28℃/湿度85%がよいとされるが、これは人間が作業するにはやや蒸し暑い環境だ。このように作業室と飼育室が分けられていれば、人間に適した温度で作業ができる。
飼育室には通常は人は立ち入ることはないのだが、特別に中を見せてくださった。中は高温多湿のため、立ち入った瞬間にカメラのレンズが曇ってしまう。
飼育室にはこのように膨大な蚕箔が収納さている。厳密には1,028枚の蚕箔があるという。この蚕座の格納方式を「ロータリー式・多段循環方式」と呼ぶ。自動給餌機と同じチウオウが開発した飼育装置だ。
しばしの休憩。
だいたい1時間に1回ラインを停止して休憩時間をとる。
作業時間は掃き立ての日は6時間。朝8時作業開始。10時に小休憩でお茶。12時から13時がお昼休憩、13時から15時まで作業して、15時からお茶休憩して解散という時間配分だった。
すべての掃き立て作業が終わって、作業者が引き上げる。蚕箔もすべて飼育室に収納されていく。
蚕座紙が載っていない状態の蚕箔は青緑色だ。
群馬県の一般的な蚕箔は長方形なのだが、螺旋循環式で使用する蚕箔はほぼ正方形をしている。
1日の給餌作業が終わると、毎日、作業室を清掃する。
清掃用具は減菌区画にある倉庫に置かれている。
給餌装置は飼料のカスなどを丁寧に水洗いして、作業室から飼育前室(廊下)に運び出す。
ここは天井に扇風機がついていて、機材に風を当てながら乾燥させることができる。
作業室の床には、排水用の溝が切ってある。
羽ぼうきなどの用具も水洗いする。
ベルトコンベアにも水をかけて、床もデッキブラシで水を掃き集める。
ベルトコンベアは鉄製なので、かなり錆が進んでいた。螺旋循環式蚕座を開発したチウオウは長野県のメーカーで、いまはもう存在しない。この機械は今後壊れても直しながら使うしかない。養蚕関係の機械は多くが同じような状況にある。
こうしてこの蚕期の掃き立てが終わった。
最後に手を洗って休憩室に戻る。
稚蚕飼育の全行程は10日以上かかるため、残念ながら今回は掃き立ての1日分の様子しか見ることができなかった。できることならいつかすべての行程を見てみたい。
だが今回わずか1日でも人工飼料育の様子をつぶさに見学できたことは、これから稚蚕飼育の遺構を見ていくのにも計り知れないプラスになったと思う。
特別に見学させてくださった、碓氷安中農協には感謝します。
(2010年05月10日訪問)