榛名神社。満行寺のとなりにあった神社。
疲れていたり行程が押していたりすると、寺の裏山の鎮守社などを「ちょっと遠いからいいか…」という感じでパスしてしまうことがある。(そんなことではいけないのだが…)
この鎮守社も場合によっては考えてしまう位置にあったが、今回はあまり目的のない旅だったので参詣することにした。
鳥居は
両部鳥居というのは、このように、主柱の前後に小さな稚児柱を立てて、貫で固めてある鳥居をいう。前後の稚児柱で安定させるという機能もありそうだが、この鳥居は不安定な場所に建てるためのものではない。明治以前に神仏混交だった神社に多い形式なのだ。
この榛名神社はもとは、満行寺と一体だったのだろう。
鳥居を潜ると、橋がありガードレールが赤く塗られている。かつてはここに反り橋があって欄干が赤く塗られていたのかもしれない。
中途半端な反り橋があっても記憶に残らないが、これは結構インパクトがあるのでしばらく忘れることはないだろう。
橋を渡ると、八脚門が見えてきた。
まったく予期していなかったが、かなり立派な神社だということに気付く。
「八脚門」というのは、中央に通路があって、左右に部屋のような空間がある、一階建ての門のことだ。建物を支える柱の数でその呼び名がある。二階建ての場合は通常は八脚門とは言わず「楼門」という。
八脚門や楼門の左右の部屋の部分には、通常は神像が入るわけだが、お寺の場合は金剛力士(仁王)や四天王、神社の場合は矢大臣と右大臣(
仁王が入っていれば「仁王門」、四天王が前後左右に入っていれば「四天門」、四天王のうち2つが入っていれば「二天門」、随身が入っていれば「随身門」のように呼ぶこともできる。
この門は、八脚門形式の仁王門ということになろう。
もちろん、神社で仁王門というのはあきらかに神仏混交の名残である。
それにしても赤いなあ。
緩い傾斜の参道を100mほど進むと社務所がある。途中は杉並木。
宮司が常駐しているタイプの社務所ではなく、祭礼や初詣のときくらいにしか使わない建物なのだろう。
短い石段を登ると、拝殿と本殿がある。ここもすべて赤い建物だ。
これはもしかしたら拝殿ではなく、
中央の一間分は土間になっていて戸もない。そのまま内部に入ることができる。内部に入ると、左右の空間には床がある。これは普通の拝殿の構造ではない。長床ではないかと思う根拠だ。
天井は格天井で花鳥画が描かれていた。
奥の小壁には龍の彫刻があり、左右の指し鴨居には水流の彫刻があった。けっこう派手な色で塗られている。
軒まわりはやぼったい造りだ。
普通、枡組は柱から外側にせり出して、枡の上には屋根を載せるための最も外側の桁(=
石の間(拝殿と本殿をつなぐ部分)には花頭窓の意匠があった。これも仏教建築特有のものだ。
本殿は完全に覆屋の中にあってよく見えないが、一間社流造のようだった。ほかにお神輿などがしまわれていた。
拝殿の左側には末社の諏訪神社。
ここの鳥居も最近造られたもののようだ。
(2010年05月04日訪問)