中沢組合製糸繭倉庫

ネオルネッサンス様式風のレンガ倉庫。

(群馬県富岡市中沢)

かつて、南上州には多くの「組合製糸」が存在した。これからいくつか関連する遺構を見ていくので、組合製糸について簡単に説明しておこう。

群馬県の明治時代前期には座繰(ざぐ)りという方法で繭から生糸を作ることが盛んだった。座繰りとは、卓上に置ける小型の糸繰り器で繭から糸を取る手法だ。だが、個人個人が作った糸は太さがマチマチで高値では販売できなかった。そこで地域で組合を作り、生糸を集荷して巻き直す(揚げ返しする)ことで同じ太さの糸をロット化したり、組合員に品質管理を呼びかけたりして高品質の生糸を生産するようになっていく。

そうした組合は、はじめは各家で作った糸を共同で巻き直すだけだったが、やがて独自の繰糸場を持つようになり、最後には小規模な製糸工場へと発展していった。それが群馬県における組合製糸である。

組合製糸は地域ごとにたくさんあったが、いまではその詳細を調べるのは容易ではない。古文書を根気よく調べれば、組合員や売上高などはわかるかもしれない。だがそれだけだろう。当時の組合が、どんな建物でどんな機械を使ってどんな糸を作っていたのか、あるいは、そのころの作業者の技量や仕事の手順がどうだったかというような具体的なことはおそらくもう永遠にわからない気がする。

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上信電鉄南蛇井駅から北へ500mくらい行った道ばたに、レンガ造りの建物がある。

これは、組合製糸「中沢組」の繭倉庫といわれる建物である。

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建物には開口部が少ない。繭倉庫の内部には袋詰めされた乾燥繭が山積みされる。湿気があると繭にカビが出たり、通気孔が多ければネズミの食害にあったりするので、暗冷な建物にする必要があった。

繭倉庫から出庫された繭は次に繰糸場に運ばれて糸にされるので、普通に考えればこの倉庫の一角が中沢組の製糸工場の敷地だったと考えられる。ただし、この物件に関して言えば駅のそばなので、他の場所で使うために乾繭した繭を備蓄しておく倉庫だった可能性も考えねばなるまい。

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建物の南側の1階部分。

壁の厚みがわかる。

レンガの積み方はイギリス積み。

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建物の西側は人家の敷地に接しているので観察しにくいが、1階にのみ窓がある。

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建物の東側。

やはり1階にのみ窓。

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屋根の軒の部分には、レンガを垂木のように並べた意匠がある。ネオルネッサンス様式を思わせるもので、富岡市のレンガ倉庫の中では比較的凝った造りだ。

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窓は鉄製の観音開きの桟戸。

上下には花崗岩製のまぐさ石がしつらえられている。

(2013年11月24日訪問)

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