これから観音山方面に向かうのだが、途中で吉井町の中心街付近を通過した。そのときに見かけた風景。
鏑川の後背湿地のような地形の場所にある蚕室。
斜面を利用して半地下のような階下が作られている。おそらく蚕具の倉庫や貯桑などに使われたのではないだろうか。2階は風通しが良さそう。
煙出し櫓を持たない大きな蚕室。
明治~大正の群馬の養蚕農家では、大棟に煙出し櫓を載せているものが多い。明治時代の初期には、カイコの飼育方法として「清涼育」「温暖育」などの温度管理についてのいくつもの方法が試されていた時代で、換気のための越屋根がステータスのようになっていた。だが、蚕室には窓もたくさんあるので、煙出し櫓からの気温調節がどれだけカイコの飼育に効果的だったかは私は疑問を持っている。
もし1~2℃の精度で温度管理をしようと思えば、、天井がなく屋根裏が吹き抜けている2階部屋では燃料が無駄になる。逆に、天井を張って気密を高めれば煙出し櫓は機能しない。結局このような単純な切妻で開口部をたくさん作るのが合理的だったと思う。
よく見ると、左の建物と右の建物のあいだにクレーンのようなものが見える。左側の建物で育てたカイコを、右の2階に上げるのに使ったものだろう。
「蚕箔」とは、昭和30年代ごろまで主力で使われた古い蚕具。幼虫期の飼育や、藁まぶしで繭を作らせる台として大量に使われた。群馬県の蚕箔は「上州籠」と呼ばれ、大型なのが特徴。
こうして敷地の境界などに再利用されているのが、21世紀の今日でもまだ頻繁に見ることができる。
(2008年12月29日訪問)