ターマニャヒル

大勢の巡礼がいまも訪れる聖地。

(ミャンマーカレン州パアン)

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「せっかくここまで来たんだからタマーニャヒルにも行きたいんだけど」
「???」
「ターニャヒルに・・・」
「あぁ、ーマニャヒルね! OK OK!」

なぜかみんな大笑いしている。そんなに発音が悪かったかな。ターマニャヒルはこの地方屈指の仏教徒の聖地である。

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サダンケーブからはAH1号線を10kmほど東進したところのY字路を左折、AH1号線から分かれてさらに5kmほど行くとウィンセィンという村がある。ターマニャヒルの門前町として発達した村だ。

ウィンセィン村入口のY字路にある門。ミャンマー南部ではこうした切妻の門が村の入口の目印になっていることが多い。こうした門に一般名称があるのかどうかはわからないが、呼び名がなくてはいちいち面倒なので、当サイトでは「里門(さともん)」とでも呼ぼうかと思う。

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日本では里門に相当するような物件はほとんど見当たらない。滋賀県の菅浦集落に痕跡があるくらいではないか。ほかは、中華街の牌楼や、街道に建てられる交通安全のアーチ看板などが近いだろう。

この里門では、小屋の中に寄進所が作られていた。

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ターマニャヒルの総門は里門を過ぎてすぐのところに別ある。このことからも、里門が仏教寺院の結界とは別の存在であることが確認できる。

総門から5kmほど走ると、にぎやかな門前町ウィンセインに到着する。ひっきりなしにバスやトラックが到着し、巡礼者が降りてくる。タイからの巡礼もけっこういるようだ。

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山の斜面に青く見えるのは、日よけの回廊の屋根である。

と、言うことはこの山では、ふもとから裸足で山頂まで登れるということである。

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山門は赤白のストライプ。遊園地か動物園でもあるのかとしか思えない楽しそうな門である。

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謎なのは、参道の中央にある鉄管。これが石段の中央にずっと続いている。手すりのようにも見えるが、水漏れしているところがあるので、水が通っていることは間違いない。

もしかすると頂上まで水を送る上下水道の管なのかもしれない。

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山門を入るとすぐに数軒の土産物屋がある。

売っているのはブロマイド、経典、数珠、イミテーションの金細工の装飾品などである。

ブロマイドのお坊さんはこの寺を中興した、故ターマニャ僧正である。ミャンマーでも屈指の人気僧で生前には説法を聞くために参拝客が引きも切らない状態だったという。

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階段は山の斜面の角度そのままに容赦ない角度で作られている。それは直線ではなく、正規分布曲線のようなカーブなので登り始めは緩やかだが途中からぐんぐん角度が急になっていく。

中央にある鉄管の曲がり具合がそれをよく物語っている。

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最も角度が急なあたり。

45度に近いくらいの角度だ。

そういう場所にはちゃんと休憩用のベンチが用意されている。

伽藍の一部にベンチがあるというのは日本ではあまり考えられない。

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階段の両側にはずっと家が続いている。どうもお坊さんの家のようだ。

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何とかきつい斜度を乗り切った。

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階段から少し横に出てみると、門前町を見下ろせる。ずいぶん登ってきたな。

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登り切ったところにも土産物屋が数軒ある。

謎の鉄管は地面の中に吸い込まれていた。

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ターマニャ僧正のポスターや写真立てが目立つ。

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この土産物屋で、供物セットを購入。

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シキビ、天蓋の模型、経典、仏旗、線香がセットになっている。

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階段を登り切ったところには食堂(じきどう)がある。

ここでは参拝者が無料で食事できる。毎日何百人もの人々の食事が無料で供されているのだ。

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食堂の横にあった講堂。

かつてターマニャ僧正の説法が行われたのだろう。

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講堂から左のほうへ進むと、山頂への石段がある。

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山頂まではもうわずかな距離だ。

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山頂には2つのパゴダがある。

ここで八曜日の守り本尊に供物を捧げる。

2つのパゴダがあるので、半分づつ使えばよかったのだが、気付かずに最初のパゴダにすべて使ってしまった。供物セットを2つ買うのがいいのかもしれない。

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ここでは八曜日の眷族が立体物になっている。

私の守り本尊の眷族はこの「牙のないゾウ」。

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鐘つき柱が3セットあった。

それぞれ音が違いそう。

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頂上からは、東側の眺めがすばらしい。

タイとの国境方面になる。

何もない田舎の田園風景がどこまでも続いているのは、日本ではまずお目にかかれない風景なので、いつまで見ていても飽きない。

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庫裏の中にあった、ターマニャ僧正の遺品展示室。

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ここにもたくさんの写真。

ターマニャ僧正の顔は覚えてしまった。

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僧房。

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僧房から少し石段を降りたところにあった、ナッのお堂。

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内部にはナッ神の神像が並んでいた。ナッ神には有名な37柱の神さまがいる。職場の人が、この神像を見て「これはダレダレだよ~」と言っていたので、現地人には外見でどの神さまなのかがわかるのかもしれない。

この山はもともとナッの聖地だったのを、ターマニャ僧正が入ったことで、仏教の聖地になったのだそうだ。僧正を慕って2万人もの信者が集まったため、ここに町ができたのである。そのためこの町に暮す人たちは僧正の教えを守って菜食主義なのだそうだ。

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山の中腹にある、ターマニャ僧正の(びょう)

階段のある参道から、横道に出て少し歩いた南斜面にある。階段からは見えないので場所がわかりにくいかもしれない。

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ターマニャ僧正は、2003年末に亡くなられ、この廟に安置されていた。

ところがある夜、ミャンマー軍がこの廟を襲撃し、僧正の遺体を強奪していった。

おそらく僧正が平和、不戦を標榜していたため当時の軍事政権にとって目障りな存在だったからだろう。

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襲撃の跡はいまでも生々しく残されている。

噂では、当時の大統領タンシュエのもとへ運ばれ火葬されたあと、大統領と妻がそのお骨をかじったとされている。軍事政権に反対する勢力を呪的に押さえ込むためである。

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強奪される前の僧正の遺体の写真。

ミャンマーでは偉いお坊さんの遺体は展示するのが基本みたいだ。

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山から降りたところにあった衆寮。

ガイド本などによれば、外国人でも無料で宿泊(たぶん板の間に雑魚寝)できるという。

(2014年02月09日訪問)

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浅井 美衣 (著), 曽根 愛 (イラスト)

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