上毛かるた「
だが、平成の大合併で富士見村が前橋市に合併されたことによって、富士見村の座繰り製糸所が前橋市域となった。富士見村の工房を得て、前橋市はかろうじて「生糸のまち」の面目を保ったのである。
昭和の時代には、赤城山の南面から渋川方面にかけて農家の内職としての糸引きが盛んに行われた。
それは工場労働ではなく、糸商が各戸に繭を配達し、糸を引かせて買上げるというものだった。石田明雄さんは赤城山麓に残った最後の糸商のひとりで、いまでも手引きの生糸を商っている。その石田さんが赤城南面の糸作りの伝統を守ろうと設立したのがこの製糸所なのだ。
機会があれば見学したいと思っているが、なかなかタイミングがめぐってこない。
ここで作られている糸は、一般に「上州
製糸工場の生糸が、光沢のある均質な絹糸になるのに対して、ここで作られている糸は、太くて節があり、知らない人が見たらシルクには見えないしろものだ。だが、その素朴な風合いは趣味のキモノなどに使われ、人気がある。おそらくこの糸も小売店には出回らず、簡単には手に入らないはずだ。
いま、群馬県で「上州座繰り」と言えば、石田さんの扱っている糸がその代名詞といえるだろう。
しかし、それが座繰り糸のすべてというわけではない。西上州で産業として開花した南三社の糸も座繰り糸であったし、前橋市内の小規模な製糸工場で動力付き座繰器で作られた玉糸も座繰り糸と言えるものかもしれない。さらに赤城山の南面では沢山の糸商や引き手がいて、ピンからキリまで多様な糸が作られていた。石田明雄工房の座繰り糸はその仕様のひとつでしかない。
そうした赤城南面の糸の歴史と文化についてディープに掘り下げるには、まだ少し時間がかかりそうだ。
(2013年03月03日訪問)