しばらく村を走ると、お祭りのゲートのようなものが見えてきた。
「ようなもの」ではなくて、どうやら本当にお祭りのゲートらしい。この先の寺で「タマゥ祭り」という大きなお祭りが行われた跡なのだ。
ここからが寺の境内なのだろう。
境内に入ると、倉庫か工場かと思われるような建物があった。
寺の講堂、兼、作業場で、お祭りが近づくとここで機織りをしたり祭具などを作るのだという。織った布はお祭りで売られるのだそうだ。
作業場の横には人力車のような、山車のようなものがあった。ちょっと変わっている。
その反対側には、山車の形とよく似た作りかけの建物もある。
これに壁と屋根が付くとどんな建物に仕上がるのだろう。
寺の境内は広い。10ヘクタール以上はありそうだ。
境内の中の道を進んでいく・・・。
「ナ、ナンダ? あれは?」
家々や樹木のかげに、不思議な遊園地のようなものがチラチラと見える。
遠目には、日本でしばらく前に流行った巨大迷路のようにも見える。ミャンマーの寺も迷路は好きだから、その可能性は十分ある。
車を降りて、すぐにその不思議な場所に駆け寄ってみた。
そこにあったのは、これまでまったく見たことのない異様な何かだった。
言葉で説明するよりも、その実物を見てもらったほうが驚きが理解できるだろう。
これまでに何度か見た竹かごのお供え台が途方もない数並んでいる。すべてレンガ色に塗られており、その数はおそらく千本を超えるのではないか。
お供えは直径100mほどの円形の敷地に放射状に並んでいて、周りは柵で囲まれている。柵の中に立ち入ることはできない。
そして中央には、木造の祭壇がある。祭壇といっても大きさが二階建て小屋ほどもある物体なのだ。所々に、銃眼のようなスリット状の窓があるので中に入れるのかもしれない。
祭壇の周りには竹竿の上に付けられた不思議な飾りが無数に立っているのだった。
三角形や、クリスマスツリー形に竹が編んであり、そこにさらに、小さなナイフの模型が放射状に突き出ている。
この一帯の村をプゥテキ村というそうだ。先日見た、プゥテキパゴタと同じ名前であり、どうやら関係もありそう。
だとすれば、これはプゥテキパゴダで見たヒョウタン型のパゴダを、木造で建てたものなのではないだろうか。木造でヒョウタンの曲線をうまく再現できずに、このような禍々しい形になってしまったのではないか。
だが、レンガでパゴダを作るのが一般的なミャンマーで、なぜわざわざ木造なのだ。
あまりにも高密度に飾り付けられていて、小さな写真では情報量が不足しがちなので、大容量のパノラマ画像をリンクしておく。
さきほど村で見た、ボール状の飾りがここにもあった。
三角形の飾りは、竹を格子状に編んで作られている。
お供え台は単純な四角形ではなく、上から見て十字形をしている。この複雑な構造のためによけいに密度感が増幅されている。
手前のお供え台にはおこわのようなものがわずかに残っていた。もう祭りが終わって時間が経っているので、鳥などに食べられてしまったのだろうが、このすべてのお供え台に供物が載っていたのではないかと思う。
水も捧げられていた。
柵の外には焚き火をしたあとが並んでいる。
ここで、煮炊きして供物を調理したらしい。
少し離れたところに、ナイフ状の飾りが捨ててあった。失敗作なのか、造りすぎたものなのか。
ペットボトルに赤い塗料を入れて塗っていったものと思われる。
どうも以前は赤い色は塗らなかったらしい。神様のお告げかなにかで赤くなったというような話も聞いた。
あとで写真を整理していて、ここに来る前に上がらせてもらった家の仏壇で写した中に、この祭りの記念写真が写っていたことに気がついた。だが、それは祭壇も飾りもすべて白く塗られているのであった。
祭壇の周りには山車が何台も置かれていた。
祭は6月の満月の日に一週間行われ、これらの山車のパレードが村を2周したのだという。
ガルーダだろうか。
怖いんですけど・・・。
張りぼての像が3体いた。
そのうち1体には鞍が載っていて、人か貢ぎ物を上に載せていたのだろう。
4頭立ての牛で曳いたと思われる山車。
引き手のところに鳥がついているのが面白い。
この物件、日本語のネット情報では初出だと思う。英語のサイトでも探してみたがそれらしき情報が見つからないので、ネット初出かもしれない。
飾りつけが奇妙にして大規模。仏教だけでは説明がつかない不思議な様式に充ち満ちている。私の知る限り、ミャンマーカレン州で最大最強の不思議物件である。
祭りの日が6月というと雨季の最中なので観光には向かない季節だが、これはぜひとも祭りの日に見に来てみたいものだ。
(2014年07月14日訪問)