しばしの雨宿りのあと天候が回復し、快調にタトンを目指す。
道端には「AH1」の道標。
「Asian Highway 1」は、東京の日本橋を起点としてトルコまで通じている道。この道標を見かけると、ここが日本から続いている道なのだと気付くと同時に、「遠くまで来たな」という感傷もわいてくる。
タトンの町は低くて長いタトン山脈の西麓にあり、パアン側から来ると、山脈の鞍部を越える小さな峠がある。
その峠に大きな山門があり、また、南側の山脈の上にパゴダが見えるので気になっていたのだ。
タトンの町に入る前に、もう一ヶ所だけお寺に立ち寄ることにした。
山門を入って進むと、白い塀で囲まれた敷地が見える。
どうも参詣用の寺院ではなく僧院のようだ。でもせっかくなのでお参することにした。
最初、遠くに見えた山上の伽藍を目指したのだが、道が見つからず、僧院付属のパゴダがある丘の中腹までオートバイで登ってしまった。
回廊が道路を横切っていて、ここから歩けばすぐ付属パゴダに参詣できそう。
とりあえず、この付属パゴダにお参りすることにした。
丘の上にあるパゴダがある場合、極力、ふもとから階段で上がることにしている。というのも、階段の途中に何かあっても見落とさないようにするためだ。
だが、ふもとの方を見る限りここには何もなさそう。
楽をして、途中から参詣させてもらう。
石段の途中には木魚。
石段の途中に脇道があり、小さなお堂があった。
内部に祭られているのは、モン族のマヌーハ王ではないかと思う。というのも、周りにバガン遺跡の絵が描かれているからだ。
モン族は9世紀ごろこのタトンに王国をつくり、ミャンマーに初めて上座部仏教文化を築いた。その後11世紀にその教典を欲したビルマ族のアノーヤター王に征服されて王や高僧はバガンに連れ去られ、奴隷として寺院建設に従事させられたのである。しかしその結果、モン族の仏教文化はビルマ族に取り込まれ、ミャンマー史で最高の仏教文化が花開くことになる。
引き続き、回廊を登る。
回廊の先は仏殿に接続していた。
このお堂は、仏塔の周囲に張り付いている建物のひとつだ。つまり、この壁の裏側はパゴダなのである。
ここにもバガンの絵が描かれた部屋があり、お坊さんの像があった。
これはタトン王国の高僧シン・アラハン師で間違いないと思う。看板の「အရဟံ」は「アラハン」と読めるからだ。
彼こそ、アノーヤター王とビルマ民族を上座部仏教に改宗させ、ミャンマーに仏教文化を確立した人物なのだ。
仏殿を出る。
建物はこのようにパゴダの前後左右に張り付いて建っている。
堂内で仏像を拝めば、自然に仏塔に向かって拝んだことにもなるのだ。
このパゴダの特徴は、基壇から尖塔までが八角形のまま細まってゆくその形状だ。
通常のパゴダにある、円の平面がどこにもない。
パゴダと対になるタコンタイ(石柱)。
色鮮やかに塗られていて、てっぺんはオシドリではなく、僧形の人物。
石柱の下部は四角形で、各面は天部の神様が守護している。
パゴダの西側には、シンティワリ堂。
タイプは身体はリアルカラー、僧衣はゴールド。
剃って青々とした坊主頭が妙にリアル。
パゴダの裏側には小さなお堂。
こうしたお堂を何度か見てきたが、用途はいまだ核心を持てず。
瞑想所かとも思うが、戸が閉まっていたので確認できなかった。
パゴダの周りのコマゴマとしたものを見ていこう。
シンプルな鐘。
天部の神様を祀った小祠。日本でいえば、毘沙門天とかそんな感じだと思う。
神様ということで鎮守社としておこう。
つまり、修行僧のトイレである。
山並みを見ると山上伽藍がありそうなのだが、静かな僧院の中の通路を、オートバイのエンジン音を立てて走り回るのも悪いと思い、山へ登るのはあきらめた。
僧房も見えたのだが、そちらのほうへ行くのもやめておいた。
(2014年07月26日訪問)