チョントゥ滝からの帰路、ミャインジーグー町で寺に立ち寄った。
なぜ立ち寄ったのか本当のところはよくわからない。なにしろ一行はクリスチャンの団体であり寺に立ち寄る必然性はまったくないのだ。なにか複雑な事情があるのかも知れないが、私と彼らの英語力ではあまり込み入った内容はやりとりできない。私が寺を好きだというので立ち寄ってくれたのかもしれないし、単に眺めが良い場所があるのでこちらに来たときの定番の立ち寄り場所なのかもしれない。
さて、このとき立ち寄った寺は、ミャインジーグー寺院である。「グゥ」はミャンマー語で「洞窟」を意味するが、ミャンマーのスタッフが言うには「崎」のような意味もあり、サルウィン川に突き出した場所だからとのこと。日本でも内陸で「崎」のつく地名は川の合流などに関係すると言われている。たとえば私の住む群馬県には「高崎」や「伊勢崎」などの地名がある。
この寺のあるじ、通称ミャインジーグー僧正という人物は、これまでにも他の寺の聖人紹介所で何度か見てきた。カレン州のカリスマ僧侶のひとりである。
本名をウトゥザナ(U Thuzana)といい、ターマニャ僧正に師事したあと反政府勢力KNLA(カレン民族解放軍)に参加。山岳地帯を転戦したときに荒廃したパゴダを見て再建を決意する。しかしKNLAの幹部にはキリスト教徒が多く彼の行動は批判された。そして彼を支持した仏教徒のグループがKNLAから離反しDKBA(民主カレン仏教軍)を結成。後にDKBAが政府軍側についたためKNLAは苦戦することになる。政府は恩賞として彼の本拠地ミャインジーグーをDKBAの自治区として認め、多く信者や難民が集まって生活したという。
その後、2010年にDKBAの大部分は政府軍の下部組織、国境警備軍(BGF)という軍隊に編入された。したがって、現在DKBAと呼ばれる組織は国軍とはたもとを分かったグループと考えられる。
訪れたのは、そのウトゥザナ僧正のいるミャインジーグー寺院の丘の一部だ。
丘全体はかなり広く、僧院やパゴダが点在しているようだが全体を見ることはできなかった。
キリスト教徒のスタッフに無理に寺を案内させるのもあまりいいことではないと思うので、彼らのペースで軽く立ち寄っただけ。ここはいつかプライベートで訪れて全容を見てみたい気と思っている。
山門は三間一戸で巨大な層塔構造。
本道も層塔構造で、デザインは一貫している。
あまりのんびりしている時間がなかったので、堂内には入れなかった。
境内はサルウィン川に面しており、高台から川を展望できる。
少し川上には、ユンザリン川という川の合流点が見える。奥の水の色が黒っぽい部分がそうだ。
サルウィン川は中国を水源とする川で、水は濁っている。なぜいつもこんなに濁っているのだろう。途中にダムでもあるのか。
一方のユンザリン川はカレン州北部を縦断する大きな川で、この上流にはパプンという町がある。
渡し舟が見える。
ここを渡れば対岸はカママゥン。その先はパプンへ通じている。パプンはいつか訪れてみたいと思っている町である。だがスタッフによれば、ここの渡し舟に車を載せる料金は高いので、下流のサルウィン・パアン橋で西岸に渡り、西岸を北上するのが普通らしい。
渡し舟のミャインジーグー側の乗り場。
ミャインジーグー町はパアンからは60kmほど。モーラミャインと同じくらいの距離だ。
機会があれば町の寺々をじっくりまわってみたい。
ミャインジーグー僧正は2018年10月に亡くなられている。
(2015年04月18日訪問)