四輪車がすれ違うのが難しそうな狭い道路をひたすら南東へ。
前方は林に隠れて視界が悪く、ジャイン河畔から見えた小山はもう目視できず、この道でいいのかどうかわからないまま走り続けている。
すると途中に火葬場が見えた。
行ってみるか!
以前に見たカラゴン村の火葬場と似たような規模。
違うのは、火葬場の棟に対して、引導場の棟が直角になっていること。つまり、上から見るとT字型の配列になっている。
カラゴン村の火葬場では、棟が直線的でI字型の配列だった。
引導場の前にはまわり場のような構造がある。
「まわり場」とは、日本の葬送で葬送行列が回るための場所である。当サイトでは東北地方のお寺の本堂前にそのための設備があるものを多く紹介しているが、特に設備を持たない場合でも家の庭や地域の特定の場所で回る例もあり、葬送の回転はなにも東北に限るわけではない。
ミャンマーの葬送にもそうした風習があるのかどうか着目しておいたほうがよさそう。
引導場の内部は、ステージ+棺置台。
これまでステージには棺を置くのかと思っていたが、どうやらステージは棺を置く場所ではなさそうだ。
カラゴン村では火葬場にはアコーディオンの格子戸があって中にはいれたかったのだが、ここはドアがなく火葬炉を近くで見学できた。
どう見てもホッパーとしか思えないものが天井から下がっていた。
ホッパーの下部にはスライド式の開閉弁がある。
火葬のための燃料をこのホッパーから投入するためのものだと思う。
燃料は、かなり細かく流動性のあるものでないとうまく投入できないのではないか。
何を使っているのかちょっと想像しにくい。石炭かコークス、木炭、あるいは、木質ペレットみたいなものだと思うが。
石炭や木炭を使うなら、もっとすすけて汚れていてもよさそうだが火葬炉はきれいだ。ペンキを塗り直した直後なのだろうか。
炉の内部。
いわゆるロストル式というタイプの火葬炉に近いと思う。この鉄の網の上に寝棺ごと置くのだろう。
棺桶はすぐに燃え落ちて遺体はこの網の上に乗り、燃料は手前の斜面を転がり落ちて遺体の下で燃えるのだろうと想像される。
それにしては内部がきれいなんだよなあ・・・。耐熱レンガなどではなくコンクリでできてるように見えるし。こんなのだとすぐ熱で劣化してくると思うんだが。
炉の横には足場のようなものが立てかけてあった。これがたぶん炉の手前側をふさぐ戸なのだろう。スリットは酸素を通すための通気孔ではないか。
また炉の手前に四角い穴が2つあるのは謎だ。何かがはまるのだと思うが。
どうも謎の多い施設だ。
もしかして、国か州の政策で火葬を推進していて、各地に火葬場を建てたが、実際には使われていないとか、そういうオチも考えられなくはない。
なにしろミャンマーだし。
床下の様子。
床下には特に設備のようなものはない。
敷地にはもうひとつ古い引導場があった。
カラゴン村の火葬場にも引導場が2つあって、同じ日に2組の葬儀があるときに使うのかなと想像したが、そんなに混みあうものなのだろうか。
もしかして、宗教上の理由で建物を使い分けるという可能性もあるかも。
古い引導場も内部構造は同じで、ステージ+棺置台の構成。
2つの引導場の間には4つの墓石があった。
火葬後の遺灰を入れるのではなく、土葬というかコンクリ葬ではないかと想像しているものである。
それにしてもなぜこんな中途半端な場所に墓があるんだろう。
この火葬場の回りは全体が墓地になっているようだ。だが墓石はわずかしかない。
私は霊感はゼロで、深夜に墓地に行っても平気なタイプなのだが、この墓地はなんとなく薄気味悪く感じた。
この写真の奥の木が繁っているところは、ジャイン川の小さな支流が通っている。遺灰を川に流すのではないかとも思ったが、川に近寄れるような道はなかった。
(2015年04月26日訪問)