帰路。いよいよジャイン川の右岸(北岸)を通ってザタピン町へと向かう。
尼院アゥントームパゴダのあったチャウガリー村付近でAH1号線を離れて枝道へ入る。ここから、タンレー村、カヤー村、チョンペー村を経て、ザタピン町まで約25kmの道のりである。
このエリアはこれまで一度も立ち入ったことがない場所だ。巨大なパゴダや洞窟などは期待はできないが、一度も行ったことがない場所へ行くということ自体がわくわくする冒険なのだ。
AH1号線から枝道に入ると、いきなりものすごい悪路。深いワダチの連続でオートバイのサスペンションは悲鳴をあげっぱなし。しかも暑季というのに頻繁にぬかるみがあり、コース取りを誤ると詰む。道程がずっとこんなだったら完走できるだろうかと不安になってくる。
実はあとで知ったのだが、この道はAH1号線バイパス建設のための工事用道路で、本来はちょっと遠回りだが村々を縫う旧道を通ればそれほどの悪路ではなかったのだ。
最悪のぬかるみ道は5kmほどで終わり、村の中を抜ける古い街道へ出た。車両が通るとしばらく砂煙で視界が悪くなるような埃っぽい道だが、さっきまでの悪路よりはだいぶましだ。
面白いのは、道路の半分だけ舗装してあること。ミャンマーは右側通行なので、私が走るべき側は未舗装だ。だが通行量が少ないので、対向車がないときは反対車線の舗装部分を走行し、対向車があったときだけ未舗装部分に退避すればよい。舗装のコストが半分ですむ経済的な舗装だ。
さらに特殊な路面もある。
なんと自動車のワダチの場所だけが3本舗装してあり、そのうち2本の上を走るというもの。
これだと四輪車同士の対向時にはどちらかがワダチを外れなければならないが、四輪車とオートバイの対向であればそのまますれちがうことができる。やはり建設資材は半分ですむ。
タンレー村の近くまで来たとき、見慣れない行列とすれちがった。
お坊さんの托鉢行列のような感じだが、頭を丸めていないし袈裟も着ていない。
先頭は仏旗を持ったおじさん。
その後ろにそろいのユニホームを着た若者が続く。
仏旗に続くのは、チージーという鳴り物をかついだ2人。日本のお寺でいうと雲版に近い感じのものだ。
その次に続くのはドラをかついだ2人。
雲版とドラをかついでいるのは、行列のなかでも年齢が若い子であった。
托鉢行列の先触れは修行僧ではなく寺男が務めるらしい。ミャンマー語で「カピヤ」と言うようだ。子供が担当することが多いといわれ、ウカンディ寺院の賽銭箱みたいな2人1組の先触れを「ポートゥロ」と言うらしい。
鳴り物の次には、仏陀の小さな像をお盆に載せたおじさん。
その後ろには30~40代と思われる男ちが托鉢を持って並ぶ。
その出で立ちからして修業中の僧侶とは思えない。だが裸足で托鉢を持っているので、何らかの寄付を集めるための行列なのだろう。
行列とすれちがったらすぐにタンレー村に到着した。
タンレーはジャイン川に面した河港町で、ちょっとしたお店もある。僧院も何軒かあるようだ。行列はその僧院から来たのだろう。
里門が並ぶ通り。3つの里門が同時に見えている。
ジャイン川の河畔にはこうした門というより、町中の休憩所のような門が多く見られる。
(2015年05月02日訪問)