実はこの里門は、お寺の寄進所になっていて、尼院の修行僧が詰めている。
おそらくそのお寺と思われるものが、国道の左側の丘の上に見える。
山門の横に看板が立っており、「アゥントーム仏塔」とある。当サイトではこのような場合「アゥントームパゴダ」と記載するが、お寺の感じはパゴダというよりも僧院である。
ついさっき立ち寄った、アゥントーム寺院と同じ名前なのが気になるところ。
最初にあるのは、三重の層塔を載せた建物。
内部にはなんとパゴダが収まっていた。これまでに見たなかでは、パアンのザゴゥワタン寺院の本堂が多少似ている。だがこの例は、覆っている建物自体が層塔で、さらに内部にパゴダという二重構造なのである。
これは独特の構造と言っていいと思う。
このような様式の仏塔を、当サイトでは今後「
鞘塔の横にあった小さな小屋。
内部には不思議な構造物が入っていた。
仏教に関連するものなのか不明。
参道をさらに進んでいくと、家々が並んでいて門前町的な景観を作っている。門前町というより、宿坊街に近いのかもしれない。
その途中に八脚門がある。
門を過ぎると、丘の上へ続く回廊が見えてきた。
やれやれ、また、登るのか。
こんなちょっとした階段を登るのがキツイと感じる気候なのである。
階段を登り切ると、いったん地面の上を歩き、本堂のほうへ順路が続いている。
なんとなくイヤな予感がしたので、サンダルは手に持って上がってきたのが正解だった。
本堂の全体は林に隠れてよく見えない。
とりあえず入ってみよう。ここからはサンダルを脱いでいく。
入口の中央にチャウサという板碑が立っていた。通常は寺の由緒などが書かれているものだが、こんなふうに道を塞ぐように立っているのは見たことがない。
何か必読の注意事項でも書いてあるのだろうか。もっとも書いてあったとしても読めないから、進むしかないのだが。
建物の中に入った瞬間、これまでに体験したことがないタイプの寺院だとすぐに気がついた。
建物の中が薄暗く、異様に広いのだ。
内部は平坦ではなく、階段が奥へ奥へと続いている。
これは一つのお堂というよりも、丘の頂上部分を完全に覆った一種のアーケードのような空間なのであった。
つまりこの寺は、外から建物を眺めることはできず、建物の内側空間がすべてなのである。
僧房や食堂などの生活空間、講堂や仏像はこのアーケード内に部屋として作られていている。すごく興味深い!
女性が目立つので尼寺だとは思うが、男性の姿もちらほら見える。私が立ち入っても、特に咎められる様子もない。
ここは沐浴所だろう。
これは起床などの時間を知らせるドラムだろう。
敷地内の一番高い場所へついた。
モザイクミラーで飾られた小さな部屋がある。
内部は狭く、小さな仏像がひとつあるだけだった。
この部屋を左回りに巻いてみる。
大きな仏塔があるようだ。
この仏塔も鞘塔である。
完全に建物の中に抱き込まれていて、この仏塔が雨や日光にあたることはない。
さらに回り込んでいくと、唯一建物の外へとつながる階段があった。
階段を登ってみる。
屋上のような場所に出た。
このピラミッド状の建物が鞘塔の「鞘」にあたる。
外側からも塔、中にも塔という二重構造が確認できた。
屋上からはこれから向かうプゥテキ僧院のある村が見える。
中央に見えるのは大仏だ。
帰ろうとしたら、
「食事していきなョ」
とのお誘い。
丁寧に辞退したが、外国人が中をふらふら歩いていても問題なかったことがわかり、ちょっとほっとした。
せっかくなので、食堂のほうを見せてもらおう。
食事が終わってくつろぐ人々。
やはり女性の姿が目立つ。
食堂の奥の薄暗い空間に、いくつもの仏像が押し込められるように並んでいた。
これまでカレン州を中心にミャンマーの寺を150ヶ寺以上紹介してきて、そろそろ出尽くし感があったのだが、まだこんな面白い寺があったんだ。
ここは、今回のミャンマー訪問で私が一番気に入ったお寺である。
参道の入口付近で見た塔頭的な建物。
切妻にパオ族のシンボルと思われるものが描かれている。パオ族は、広義のカレン民族の一派で、黒い民族衣裳を着る人々である。その祖先は龍と人間の女の異類婚姻から生まれたという伝説をもつ。ターマニャ僧正もパオ族の出身者だ。
この寺の本堂内の小宇宙的な空間といい、初出となった
(2015年05月02日訪問)