本来の旅の話に戻る。
次なる目的地勝田町には、水車を動力とする製材所があり現在でも使われているというのだ。
途中、水車小屋がありそうな地域で情報の聞き込みをした。はじめに訊いた人は「このあたりにはもう水車小屋はない」と断言。しばらく走ったところで再度聞き込みをしたら「この先に
途中、目的の製材所を見つけたが、先に木地山集落を訪問することにした。
ここがその木地山集落。ここの住人のほとんどが小椋姓だという。実はこれはとても興味深いことだ。
中世に木地師という漂泊の職業集団があった。木を切って
あっ! 水車小屋発見!!
あれが小椋○○さんの家に違いない。
水車は物置小屋の一部に設置されていた。
主屋にご挨拶して、水車小屋の中を見せてもらえることになった。
水車は物置小屋の地下というか、床下に設置されていた。
床下へ下りてゆく。
いいね、まさに実用の美としか言いようのない空間。
水輪は鉄製。
この水車はもともと、山奥の事業者が発電のために使っていたものを払い下げてもらって、自家用に移設したのだという。
村落の水車小屋というと、数軒が共同使用する場合が多いが、この水車は完全に個人所有なのだ。
はじめ精米に使っていたが、電気式の家庭用精米機を買ってからはあまり使わなくなった。
いまでは年に数回、製粉に使っているだけだという。水に浸けたもち米を一晩臼でついて、朝になったらそれをフルイにかけるのだそうだ。ひき臼ではないので時間がかかるのだろう。
その粉で何を作るのか聞きそびれたが、月見だんごだろうか。近所の人々にも配るのだそうだ。
杵の尖端部分は、すり減っても良いように交換できるように作られていた。だが最近では使用頻度が少ないので、このスペアがすべてすり減ることはないだろうということだった。
この杵の尖端部分は、地域によっては石製の場合もある。
水車を移築した大工の名前だろうか。
「荏原由雄 昭和28年11月之建」とある。
ご主人によれば、この工事をしたのは水車大工ではなく鉄工所の職人だったそうで、この近隣には水車大工はいないそうだ。
また、近隣にはほかには水車小屋はもう残っていないのではないかとのこと。
つき臼は2つあり、使わないときはロープで吊り上げてある。
水の取入れ口。
ご主人が芋洗い水車があるというので見せてくれた。
このように、一部が開くようになっていて、サトイモを入れて水にかけておくと、回転の摩擦できれいに皮だけが剥けるのだ。
設置している状況は以前、群馬県甘楽町で紹介したことがある。
家のまわりにこうした豊かな水があるというのはうらやましい。
ご主人の話を聞いているうちに30分以過ごしてしまった。すでに日が落ち、薪を焚く煙が家々から立ち昇っていた。
美しい山里の夕暮れである。
(2003年04月28日訪問)