これからは津山城の西側、いわゆる城西地区をめぐる。このエリアはもと武家屋敷街と町人町で、近代では行政と商業の中心地となった。エリアの西端には寺町があり、きょうはその寺町までを見るつもりなのだ。
まず明治時代に建てられた洋風校舎があるというので行って見た。校舎は県立津山高校の敷地内に建っていて、現在も使われている。
建てられたのは明治33年。当時の津山中学校本館として建てられた。
木造二階建てで、ネオルネッサンス様式を基調としながら、屋根は桟瓦葺きという和洋折衷様式。和洋折衷といっても明治の初期に見られたような擬洋風という怪しげなデザインではなく、ルネッサンス様式に沿っている。
正面の屋根には時計塔があり、その背後に別に銅板葺きの塔屋がある。このあたりの造りがこの建物の個性ではないかと思う。
軒下に二本単位で並ぶ肘木のような部材は、最近、亀山製糸の繰糸場の屋根の処理でも見かけたな。
屋根の軒部分や、一階と二階の間にある水切り屋根に、横方向のラインが重なっているのがネオルネッサンス様式の特徴だ。
窓はすべて上げ下げ窓。
額縁やまぐさのデザインが秀逸だ。
中をのぞいたら図書室になっているようだった。
建物は凸型で、裏側のほうに突き出た部分がある。
この部分は昭和時代の後補なのだというが、造りは他の部分と区別がつかない。
国内の古い学校建築としてはかなり優れた部類だと思う。津山市が過去に繁栄したことを物語る証拠だろう。
(2003年04月29日訪問)