
水車小屋を見つけた堰のすぐ近くに、お堂があったので行ってみた。
霊柩車でもあるんじゃないか、と思ったからだ。

お堂は地蔵堂で、加茂郷八十八ヶ所霊場の25番札所になっていた。残念ながら霊柩車はなかった。
このような共同墓地にある、お寺でないお堂を当サイトでは「

墓地で見かけた
似たようなものは瀬戸内や中国地方で何度か見たことがある。もともとは土葬にまつわる祭具だ。
すごくめずらしいものかといえばそうでもないのだが、ホール葬が普及すれば、葬式のメニューはモノカルチャー化し、こうした祭具は注文できなくなる。遠からず見られなくなる風習であろうと思う。

後ろからみたところ。
霊屋の壁面は小さな卒塔婆のような板によって柵のように覆われている。これは四十九院塔と呼ばれる意匠だ。

別の霊屋。中に遺影がある。
周りの墓石を見てみるとどれも個人銘や夫婦銘の墓だ。古い墓制が残る地域であることがわかる。
墓というと、なんとなく「○○家代々の墓」みたいな碑銘が書かれているイメージだが、それは明治政府の進めた家制度によって生まれたもので、火葬が普及した昭和の風習だ。
(2003年04月30日訪問)