日本では墓地は寺院と強く結びついているが、それは仏教の原初の仕組みではなく、江戸幕府が人民を管理するために作った寺請制度が強い影響を与えている。
したがってミャンマーの寺院には墓地は付属しないのが普通だ。そうは言っても多くの宗教が人の死と密接な関係にあって、ミャンマーでも葬儀や年忌法要に僧侶がかかわっている。そうした関係性を肌で感じるために、墓地や火葬場を見かけたら注意深く見ることにしているのだ。
墓地に入ると引導場がある。まだ実見はしていないが、遺体を火葬場で焼くまえに最後の儀式を行うための建物であろうと推測している。
この墓地には2つの火葬窯があり、2組の火葬を同時に実行できるが、引導場はひとつだけだ。
引導場の中をのぞいてみたら、女の子がいた。
たぶん暑いので休憩するか昼寝するかしていたのではないかと思う。このへんの感覚が日本とは違う。死に対する穢れのような意識が薄いのだろう。
もっとも私も、ここで休憩しろと言われたら普通に休憩できるけど。
片隅に野道具と思われるものが捨てられていた。
この感じ、日本の田舎の墓地の写真でも見ているのかと思うくらい共通するものがある。
二つの火葬窯は、並列に建っているのではなく、このように90度の角度をもって建てられている。
そのうちのひとつ。これまで見てきた火葬場に比べるとシンプルな作りだ。
周囲には燃料にすると思われる薪や古タイヤが置かれている。
もうひとつの窯。
ほぼ同じ構造だ。
建屋の中から見た様子。
右側の2つの土台は、おそらく棺桶を置く台だろうと思う。
墓地のほうへ行ってみると、裳階付きのパゴダがあった。
これまでカレン州でいくつか火葬場をみてきたが、火葬場自体には宗教性を感じさせる要素はなかった。つまり仏教徒もキリスト教徒も利用できる施設と思われた。
このように仏教の施設が併設された火葬場は初めてだ。ここは仏教徒の墓地なのだろうか。
中をのぞいてみた。
薄暗い。
建物は二重になってい、内側の建物の上に仏塔が載った構造だ。
中央の四角の構造の中は小部屋があって、ブッダがひとつだけ祀られていた。
墓石はサイコロのような形をしていた。
これもいままで見た墓地の傾向と違っている。これまでカレン州で見た墓石は、長持型石棺のような外観のものが多かった。あれはコンクリのお棺の中に遺体がそのまま塗り籠めてあるのではないかと思っている。
この墓石は小さいので、火葬した遺灰が入っているのではないか。
潅木に覆われつつある墓石。
ミャンマーではもともと墓を造る習慣もお墓参りの習慣がないため、こんなふうににすぐ草におおわれてしまうのだという。
墓地を造る習慣はおそらく植民地時代以後、あまり古い歴史はないと思われる。ここに葬られているのはどんな人たちなのだろう。
(2016年12月17日訪問)