ヴィジャラパゴダ

建設中だったが今後が期待できる大寺。

(ミャンマーカレン州パアン)

ボウダイーパゴダへ間違って入ってしまったが、本来目指していた寺は北側の丘陵の頂上に見えている。遠目に鞘塔かと思う堂宇が連なっており、その様子は以前に見たモン州のアランタヤパゴダの付属寺院を思い出させる。

かなりの規模の寺院だとうことは衛星写真からも想像していたが、伽藍が完成しておらず、その真の姿はまだ現れていないようだ。

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いったんターマニャヒル参道まで戻って正しい道に入り直したらおそらく3kmくらいはかかる。時間の節約のためにボウダイーパゴダの北側の畑のあぜ道を突っ切って、強引に近道することにした。

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かなり強引なショートカットだったが、うまい具合に寺の南側から進入できた。

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寺の境内の東縁には小さなパゴダが2列に並んでいる。

それぞれには金色の布カバーが巻かれていて上品な美しさがある。

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2列のパゴダは丘の下のほうまで続いている。

もしかすると将来ここは表参道になって、AH1号線まで道が開通するのかもしれない。

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パゴダ群の中に奇妙な仏塔があった。

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相輪部分が顔になっているのだ。

そもそも仏塔の起源は、釈迦をかたどった偶像を崇拝することをきらって、幾何学的な模様や物体に仏をイメージして拝むことから始まった。仏塔は仏の直接的な偶像でないことがその存在理由でもあるはずだ。

それが、仏の形をした仏塔・・・フリーダムすぎないか。

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境内の中央部には巨大なパゴダがあって、いま建設中だ。

よく見ると、内部に相輪のようなものが見える。もともとあったパゴダを、より大きいパゴダで塗り込めているのだ。

より大きいパゴダを造ったほうが仏陀の偉大さを表現できるということで、パゴダをグレードアップしてしまうのはミャンマー仏教的にはアリだろう。でも、こういう造り方って普通なのだろうか。

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これはパゴダと対になるタコンタイ、の、暫定版だ。

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境内のほかの建物を見ていこう。

境内南側に1棟だけ離れた建物は鞘塔(さやとう)。まだ柱しかない。

鞘塔とは当サイトの造語で、層塔の外観の建築の内部に、パゴダが収納されている形式の塔をいう。

こうして製造過程を見るのは初めてだ。先に中のパゴダを完成させてから、外側の鞘堂を建てていくのだな。

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巨大パゴダの横にも鞘塔風の建物がある。この建物は全部で3棟あり、渡り廊下で接続している。

最初の建物に入ってみた。

内部は予想と違い、大仏殿になっていた。しかも肌がピンクのタイプの珍しい大仏だ。

ミャンマーで仏像の肌は、白(=大理石)、金、白に近いうす黄色が多い。あえてミャンマー風の仏像というなら白がその代表だろう。このようなリアルに肉感的な色の仏像は多くはない。

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渡り廊下でつながっている2つ目の建物に行ってみた。

まだ壁ができていないし、床もなく、土間のままだ。

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内部にはやはり大仏がおさまっていた。

先に大仏を作ってから、周りに建物を建てているのだろうか。

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渡り廊下でつななっている3つ目の建物に行ってみた。

ここも大仏かな、、、

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と、思ったら中にはパゴダがあった。

3つ目の建物は鞘塔だったのだ。

う~ん、どうして?

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大きな寺のわりに、ほとんど人を見かけない。

建設中なのに、作業をしている人もいないのだ。

とりあえず境内を廻ってみよう。

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講堂か?

あるいは、寝釈迦を収納する大仏殿かもしれない。

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太陽と月を表すアイコンのあいだに不思議な文字が書かれている。

あとで通訳さんに見てもらったら「アラハン」と書かれているという。日本語の「羅漢(らかん)」のことだ。アラハンなら「() () ဟံ(ハン)」だと思うが、ハンの文字がよくわからない。ミャンマー人には読めるのだろうか。

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学校の校舎ふうのものがあった。

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たぶん「ターマニャ中学校」って書いてある。

ここにも太陽と月のアイコン。以前にアランタヤパゴダなどでも見かけたマークだ。

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境内の北のあたりは小パゴダが特に高密度に並んでいる。

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北側には山門を建設中だった。

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北参道。

本来であればこの道から寺へ入るべきなのだ。

(2017年01月04日訪問)

ビルマ仏教: その歴史と儀礼・信仰

単行本 – 1995/8/20
池田 正隆 (著)

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