柳井市は藩政時代には岩国藩に属していたが、瀬戸内海に面した地勢で商都として繁栄した。
その面影を伝える商家の町並みが残っていて、重要伝統的建築物群保存地区に指定されている。
その場所はかつては街道だったのだろうが、いまは市内の細い路地になっていて、少しわかりにくい場所である。目印は町並資料館という新古典様式の建物。かつての周防銀行の本店だという。
この銀行の建物の前を東西に通る街道が細い道が重伝建の町並みだ。もっとも、旧周防銀行から東側は古い商家はまばらで、一般的な観光客が散策するような感じではない。
旧周防銀行から数軒分しか家並が揃っていないが、豪商の屋敷が資料館「むろやの園」として公開されている。
だがきょうは水曜日で定休だった。
その近くにあった細い路地。
奥まったところに金魚ちょうちんの工房があった。
金魚ちょうちんは柳井市の名物の民芸品。
東北のねぶたを参考に江戸時代末期に考案されたとされているが、どこまでが史実なのかよくわからなかった。確実なのは戦後に改良されて民芸品として普及したというところだろう。
もっとも、どこまでが史実であろうとなかろうと、可愛いから許すけど。
商家の町並みがもっとも色濃く残っているのが、銀行の前から西側になる。
白壁の見世蔵が続く。
平日だったので、ほとんど観光客がおらず、町は静かだった。
アスファルト舗装と電柱は撤去済みの、いわゆる映画セット的な町並みである。私はかねてから言っているように、歴史的町並みをテーマパーク化するのは好きではないので、修景は評価ポイントとしてはマイナスくらいに考えている。むしろ、舗装も電柱も残したままの、銀行から東の通りのあるがままの姿のほうがワクワクするくらいなのだ。
国重文の国森家住宅。
江戸時代の中期の建物で、柳井の街並みを代表する商家だ。ということは他の商家も古いものは江戸期までさかのぼるものが多いのかもしれない。
国森家の前後が最も街並みがきれいに残っているエリアだ。
街並みの入口からの長さは100mほどしかない。
路地にはカニ横断注意の看板が目立つ。
この街並みの背後には柳井川という水路があり、かつては河岸になっていたのだろう。その水路からカニが上陸するらしい。海と山を行き来するカニは珍しくはなく、当サイトでも徳島市の城山で紹介している。だがいずれも背後にある里山との行き来であり、この町のように近くに山がない住宅地をカニが行き来するというのは珍しいのではないか。
街並みの入口から2つ目の横丁。丸い意匠の障子が瀟洒なしもた屋。
街並みの後半は櫛の歯が抜けるように空き地が目立ってくる。
街並みの後半にあった元銭湯と思われるしもた屋。
浴室の屋根には越し屋根が載っている。
柳井川の橋までくると、重伝建の街並みはおしまい。ここまでで300mくらいで、街並み観光の規模としてはかなりコンパクトなほうだ。
もっとも、こうした運河沿いの家並だってそれなりに見ごたえはあるのだが。
反対側の民家。
2面コンクリの護岸がされていなければ、ここだってそれなりに風情のある街並みだったかもしれない。
帰りは同じ道を戻った。
今思えば、帰路は柳井川沿いを歩いてもよかったのかも知れない。
帰り際、街並みに観光客がいなくなったので、動画を撮影してみた。(なにせ当時の機材なので見苦しいのはご容赦いただきたい。)→ 街並みの動画
(2003年09月03日訪問)