大内氏は室町時代に中国地方を支配した戦国大名だった。民や朝鮮との交易も行い、室町幕府にも影響力を持ち都との交流も盛んになったため山口に西の京ともいえる文化が花開いた。
だがその末期には内紛により衰退し、最後は毛利元就によって攻め滅ぼされた。GoogleMapsの衛星写真を見ると、その大内氏の館跡といわれる地割りが山口市内にはっきりと確認できる。
毛利氏は大内氏を攻め滅ぼしたあと、その菩提を弔うために館跡に寺を建立した。それが龍福寺の始まりだと伝える。
参道は館跡から南へ100mほど伸びていて、静かな並木道になっている。
館の中心は160m四方の四角形で、平城ではなく平時の住居、すなわち御殿だったと思われる。
現在はそこがまるまる龍福寺の敷地になっている。
山門は四脚門で、両側には築地塀がある。
山門を入ると右側には宝現霊社という鎮守社がある。大内氏歴代当主を祀る鎮守社である。
境内には随所に案内板があり、放送式の案内ボタンもある。無料の寺の案内としては親切だ。
参道を進むと本堂が見えてくる。
この寺本来の本堂は明治14年に焼失したが、市内大内町にあった興隆寺釈迦堂を移築して当寺の本堂としたのだという。その釈迦堂自体室町時代の建築で非常に立派なもの。よくもまあこんな文化財を他の寺に譲ったものだ。
入母屋造、桟瓦葺きで、軒は鳥が羽を広げたような軽快で闊達なデザイン。
明治時代の補修の際に補修されているので外観は新しいが、全体のシルエットは美しい。
本堂の左側には禅堂かな、という感じの建物があったが大内氏の資料館だった。拝観料は200円。
本堂の右側には庫裏がある。
庫裏と本堂の間には玄関。
玄関の背後は花頭窓になっていて、純粋に玄関だけの建築だ。ここから入って本堂を拝観できる。
なんと拝観は無料。気前よすぎない??
本堂の内部は、内陣と外陣に分かれたいわゆる「本堂型式」。外陣は柱のない大空間で、柱も梁も太い。両手をまわしても一抱えにできないほどの太さ。
こういうのを木割りの太い建築というのだ。
梁は長押のように柱に差してあり、その下には肘木と巻斗が出ているが、これは構造的なものではなく装飾だろう。あるいは梁を差し込んで固定したときの木組みの細工を隠すためのものか。
梁の上には板蟇股。いかにも古い建築!という感じの部材。
軒の部分と、外壁の長押よりも上の部分は明治時代に取り替えられた木材ではないかと思われる。
内陣にも自由に入れたので須弥壇の横のほうから見てみた。この階段、登ってみたいよね。
内陣から外陣の方向を見る。
本堂の左には渡り廊下で切妻屋根の建物につながっていた。位牌堂だと思われる。
本堂の右には庫裏やら書院やらがあって、中庭が作られているが、樹が茂っていてよく見えない。
一般観光客は入れないエリアからしか庭の観賞はできないのだろう。
本堂の裏手にも2棟の切妻屋根の建物があった。
何のお堂かは不明だが、もしかするとこれらも位牌堂かも知れない。
(2003年09月06日訪問)