次なる寺、千手院へと向かうが、寺の裏山から境内へと入ることになった。
萬寿寺の界隈はシラカシの目立つ里山だ。
萬寿寺から南へ少し歩くと「さざえ尻」という
これまで当サイトでは、裏口から入った場合でも、記事では写真の順番を入れ替えて、山門側から紹介していくというのが基本方針だった。
だが今回は、歩いた通りに、つまり裏口→表門というように紹介していこうと思う。
そうする理由だが、萬寿寺から千手院へ行くのにはやっぱりこの山越えがオススメのルートだし、もし写真の順番を逆にして表側から紹介すればこの山越えの細道を紹介する必然性がなくなってしまうからだ。
よって、左写真の伽藍配置図の矢印の順番で境内を見ていこう。
北側から入ってくると、まず奥の院がある。
この奥の院は山の北斜面になる。奥の院の前には、無明の橋という石橋がある。これは、水の流れない形だけの空堀に掛けられた橋だ。
案内によれば、奥の院(弘法大師廟)へ進むにあたって、この橋を渡ることで迷いの世界(無明)から悟りの世界へと解脱するための装置なのだそうだ。
橋のたもとには石像の水掛け地蔵が並んでいた。
奥の院には弘法大師が祀られている。
この裏山の一帯は、四国八十八ヶ所のミニ霊場になっている。
四国だけでなく、弘法大師像や不動明王像などもある。
これが四国八十八ヶ所の石祠。
町の中とは思えないほど静かなミニ霊場だ。
弘法大師、大日如来などいくつもの石仏が集められているような場所もある。
山を越えて南側の斜面に出ると、松江城の方向の石橋町の家並が見渡せる。
こういう瓦葺きの屋根が連なる風景っていいよねえ。
松江城も見える。
以前、一度見学したこともあるが、せっかくだからあとでまた行ってみよう。
南側の斜面に降りてくると、まずあるのが弁財天(鎮守社)と、建築中の多宝塔。
全体は簡易な覆い屋に囲まれているが、2層の高さに相当する心柱がそそり立っている。
内部を覗くと、四天柱や心柱などがわかる。組み物などはまだきちっとしていて、続きが建築できそうな状態だ。
意匠は和様を基調とし、唐様を一部に含む折衷様式。
この多宝塔は戦前に松江市(?)の予算で建設を進めていたのが、終戦を迎え新憲法が発布され、政教分離の原則によって建設がストップしてしまったものだとか。
完全な多宝塔は全国にそれなりにあるので、逆に、こうした未完の塔のほうが歴史を感じてしまう。これはこれで、いまの形のままで残したほうがいいのではないか。
本堂のほうへ歩いていくと、観音堂がある。
続いて、不動堂。この寺では不動堂だけが石州瓦で葺かれている。他のお堂はいぶし瓦だ。
この不動堂は本堂と連結している。
不動堂の前にはあまり見かけないタイプの御神籤の自販機。
お金を投入口の位置がえらく低いところにあるし、籤の取出口がやけに広いのが特徴だ。
不動堂の左には本堂。
その左には位牌堂(左写真・推定)があり、前には石製の宝塔が立っていた。
位牌堂の左が庫裏になっている。
本堂の前には洗心亭という信徒休憩所があった。
石段を降りて寺の本来の入口へとやってきた。
境内には桜の樹が目立った。裏山の竹林も一部きりひらかれ桜が植樹されていたので、桜の寺にしていこうと考えているのだろう。
寺の入口には弘法大師の修行像と六地蔵があった。
表通りから見た参道。
このあたりは石橋町という場所で、古い町屋が残っている地帯だ。
この一角にある蕎麦屋「きがる」は、小さな店だが出雲そばがおいしい人気店だ。
千手院の未完の多宝塔はこの1年後、2006年春に解体され、岡山県真庭市の玉泉寺という寺の本堂の建材に使われたという。
(2005年04月30日訪問)