千手院の入口から、反対方向へ歩いてみる。
そこは「都乃花」という日本酒を造っている造り酒屋、原田本店の蔵のあいだを抜けてゆく小路だ。途中には原料を運ぶための渡り廊下がかかっている。
小路を抜けると、細い水路に面したむかしながらの道に出る。
松江市は宍道湖と中海に挟まれた低湿地にできた城下町で、掘割が発達した水の都だ。
このあたりの字は石橋町という。掘割に石橋がかかっていたことからついた地名だろうか。
だがこういうガードレールのない水路はいずれなくなっていくかもしれない。
少し西へ歩いて、堀北町へとやってきた。別名を塩見縄手と呼ばれる地区。
いまいるのは万寿寺通りの南の区間だ。
ここにも大きなお屋敷があった。門や白壁の塀は、元来のものか、修景なのかはよくわからないが、城下町らしい場所だ。
そのお屋敷の反対側には2軒がつながった長屋があった。
これ、意外に古い建築ではないだろうか。もと武家長屋で江戸期まで行きそう、などと見たら、古く見立てすぎか。
この塩見縄手地区にはほかにも観光で開放している武家屋敷もあるが、先に松江城へ行ってみよう。
歩行者専用の橋を渡って、松江城の東の入口をめざす。
内堀の外側はもとは家老の屋敷が並んでいた場所で、現在は松江歴史館がある。景観に配慮して、むかしふうの外観になっている。
2018年現在、3枚目の写真の造り酒屋、5枚目の写真のお屋敷はなくなってしまっている。いずれも老人ホームになっているようだ。
(2005年04月30日訪問)