きょうは鳥取市で寺巡りをする計画だ。だがその前に眠気覚ましに、ホテルから近いある通りへ出向いてみた。
昨夜の記事で紹介していないアーチ看板がここにある。
だが、ここに来たのはアーチ看板を見るためではない。
目的は道路標識を見ていただければわかる。
そう、ロータリーである。
鳥取駅からさして離れていない、商店街の一角にロータリーがあるのだ。ロータリーは、ヨーロッパの広場型の都市計画への憧れからか、かつて国内の大都市でも作られたが、交通量の増大に伴って廃止されてきた歴史がある。
訪れた先にあれば、とりあえず見ておく価値はあるだろう。
GoogleMapsでみるとこんな具合。
六叉路になっている。
ロータリーに流入した車は円形の中島に沿って、右回転をする。ロータリーで旋回中の車は、流入してくる車よりも優先される。
最近ではラウンドアバウトという交差点の型式も生まれ、なんだか良いものだということになって過疎地で新設する動きもあるが、当サイトとしてはロータリー、ラウンドアバウトをいちいち区別するつもりもないし、どちらも正直ろくでもないものだと考えている。
当サイトがロータリーを取り上げるのは、このロータリーという構造がろくでもないものであるという点につきる。ダメであるがゆえに長期的にみれば消え行く運命以外にはないから、無くなる前に見ておこうということだ。
日本各地にロータリーはあって、これまでにも何ヶ所かは自走したことがあるし、海外の大型ロータリーの経験もあるが、この瓦町ロータリーはまあまあ実用的なほうだ。
中島が正円で、交差点全体に余裕があり、交通量が少なければ走りやすい。評価できるのは、ところどころにある導流帯の三角形の島だ。
ロータリー交差点内では右折は存在しない。どのルートをとる場合も左折だけである。
導流帯があると、うっかりさんが通常の交差点と間違って右折するのを抑制し、ロータリーの旋回部分へ自然と導かれるからだ。
これがその導流帯。
交差点内に4ヶ所もうけられている。
この三角形が長くて大きいほど安全なロータリーになる。
中島から見た、6つの通り。
私がロータリー(および、ラウンドアバウト式交差点)をダメなものだと主張する理由は以下のとおりである。
- 五叉路以上の交差点で鋭角に曲がりやすいことと、もと来た方向にUターンしやすいメリットがあるが、交差点に流入する車の大多数のニーズはそこではない。交差点の最大のニーズは直進だ。ロータリーは直進に対して負荷を発生させる。
- 交通量の多い交差点ではまともに機能しない。逆に交通量が少ない交差点では普通の信号機で問題ない。つまりロータリーにする必然性がない。電気がちゃんと来ない国、信号機がなかった時代ならまだしも現代日本にはそぐわない。
- 流入時に一時停止しない方式だと歩行者が交差点を横断しにくい。さらに自転車はロータリー内で自動車と一緒に旋回しろなどという交通法規が論外。人のいない荒野や砂漠に作るのならかまわなが、街中に作るようなものではない。
- 大型のロータリーの場合、四叉路であっても旋回から抜け出る道を間違うことがある。走行中、回転角はわかりにくく、景色で判断しなければならないからだ。十字路の交差点で直進や右左折の方向を間違うことはない。国内にはそこまでの大型ロータリーはないが、たとえるなら東京の首都高環状線の外回りを初めて走ったときのことを想像すればいい。
- 小型のロータリーでは普通の交差点と誤認する人が出る。いくら道交法で決めてみても、ドライバーの長年の習慣で瞬間的に間違うこともある。誤認が起こると右折しようとしてロータリーを逆回転したり、直進しようとして旋回中の車より自分が優先するというような間違った判断をする恐れがある。
ここのように5叉路以上になっているのならまだしも、四叉路(十字路)の場所にラウンドアバウトを設置するなど愚の骨頂であり、いったいどういうカラクリ(利権?)でそんな事業が行なわれるのか知りたいものだ。事業のための事業、間違っていても動き出したら止まらない日本の悪癖のひとつだ。
それゆえ四叉路のラウンドアバウトは、特によく写真を撮っておくべきだろう。
(2005年05月03日訪問)