木次の農家に2時間以上滞在し、それから美郷町へ移動。国道54号から県道40号へ入り、いくつかの峠を越えて美郷町に到着したときは15時になっていた。
詳細な場所は聞いていなかったが、なんとなくアタリをつけて村の細道を走っていたら桑畑を発見。
JR三江線に沿った場所に荒れた桑園があった。
荒れているといっても数ヶ月除草がされていないという程度で、桑の剪定はされている。
桑は1年で2~3mは伸びるから、この写真のように人の背丈ほどで維持するには毎年少なくとも1回は枝を切り戻さなければならない。この桑も春に一度剪定しているのだ。
道をしばらく進むと、養蚕農家と思われる家があった。
根拠は道路の左側にある2階の建物。おそらく2階部分はカイコの上蔟室だと思う。1階は蚕室ではなかろうか。
主屋に伺ったのだがこのときは留守で、近所の人に聞いてみると体調を崩して隣県の息子の家に行っているとのことだった。しかたがないので畑だけ見させてもらおう。
主屋からみて道路の向かいにも古い建物があった。
ここも上蔟に使った建物と思われる。
この旧上蔟棟の横から線路を渡ると、桑園がある。
旧上蔟棟の裏には下屋があり、養蚕の野外育のパーツがキレイに整理され収納されていた。
この竹べらみたいなのが、壁を立てる杭なのだろう。
こちらは壁材。
こちらの農家Y家は、こんなふうに野外育を行っていた。(矢野まり子氏撮影)
木次の農家との大きな違いは、木次の農家は主屋のすぐ前の庭に飼育台を設置していたのに対して、こちらの農家は畑の中に飼育台を設置しているということだ。
木次で聞いた限り、年代的には土中育→野外育なので、畑に飼育台を設置するのは土中育のなごりなのではないか。
同アングルの現在の様子。
気になるのがこの溝だ。もしかして土中育の跡なのでは。
畑の中でこのような溝を作る作目としてはウドがある。もし他の場所で見かけたら、ウド栽培農家かな?と考えるところだが、養蚕農家の畑の中でウド栽培の施設というのは唐突すぎる。
土中育の可能性を想定するほうが自然ではないか。
幅は60cm、深さは45cmほどだった。
これまで2箇所で聞いた土中育のうち1箇所は畝間だったのであまり大きな穴が掘れるはずがなく、規模としてはこのくらいの溝が想定される。廃条はそのまま土に埋めたというが、それは土中育の本来の指導内容とは違っているのではないかと想像する。
なぜかといえば、トレンチャーやユンボを使わずこのような溝を掘るのは結構な労力だから、毎蚕期ごとに掘ったり埋めたりするのは、いくら勤勉な農家であってもキツイであろうと思われること。
もうひとつは、充分に腐敗分解させていない蚕沙や廃条を土中に入れると、肥料になるどころか逆に地中の窒素を消費し、窒素欠乏というマイナスの要因になるからである。
したがって、土中育の飼育溝は本来はこのように土留めをして長年使用できるように作られるものではないかと思うのだ。
写真奥のほうにも何らかの施設の跡と思われるものがある。
この更地部分に野外育の飼育台が並べられていたのだ。
雨天のとき桑の乾燥や備蓄をどうしたのかは謎だ。
そもそも残された溝が土中育の遺構なのかなど、知りたいことがたくさんあるが、留守だったので今回は話を聞くことができなかった。
今回は特別な連休ではなく、通常の土日を利用しての島根入りだったので時間が限られ、ピンポイントな調査しかできない状況だった。とはいえ、実際に土中育をやったという農家さんの話を聞くこともでき、1箇所だが土中育の遺構ではないかと疑われる物件も発見できた。やっぱり「探せばある」と思って探すことが大切なのだ。
帰路は、江の川沿いの細道を通って三次市を目指す。それも国道があってもあえて川沿いの旧道を通り、三江線に沿って集落を巡りながら走るのだ。三次に着くころにはおそらく日が暮れるだろう。
(2010年09月20日訪問)