木次の養蚕農家

昨年まで養蚕をしていたという農家。

(島根県雲南市木次町山方)

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木次(きすき)町の藤原家という元養蚕農家を訪れた。

こちらは去年(2009年)まで養蚕をされていたというお宅だ。最後には15アールの桑畑で、1回1箱(2万頭?)のカイコを年2回育てていたという。やめた理由は、高齢で体がきついからだった。60年間続けた養蚕に幕を下ろしたばかりの農家だ。

初めて会う訪問者にも丁寧に養蚕の話をしてくださった。出雲弁はかなり聞き取りにくく、半分くらいしか正確に理解できなかったが、約2時間半ほど話を聞くことができた。

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この農家も野外育で、この庭に屋根付きの飼育台を立てて飼育していた。4齢までは室内の棚飼いし、5齢から庭に出した。

桑の与え方はいわゆる条桑育、こちらでは「木込み(キゴミ)」という。条桑の並べ方は飼育台の長手方向で、それを「長成り(ナガナリ)」という。飼育台には床がなく下は土。5齢の最初に土の上にカイコを振り落としてその上に桑を積んでいく。5齢では除沙はまったくしない。ちなみに除沙のことは「下がえ(シタガエ)」という。発酵熱で蚕座は自然に補温された。

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飼育台はこんな形だった。(矢野まり子氏撮影)

飼育台は幅1.5m、長さ16mで1箱の5齢のカイコを飼えるそうだ。野外育やこの飼育台自体には特に名前はなかった。

あと1年早く来ていれば、この様子が見られたのにと思うと目まいがしそうなくらいに口惜しい。

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飼育に使った道具はまだ捨てずにそのまま残してあり、ひとつひとつ見せていただいた。

これが野外育の壁とカバーのシート。壁はコンパネを切って作ったものだという。

壁は2本の杭を地面に打って挟むようにして立てた。

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飼育台には竹を渡し、この戸板や障子の骨を屋根として載せ、この上にビニールのシートをかけて蚕座を覆った。

給桑の際はつっかい棒を立てて開口できるようになっていた。雨のときも蚕座に水が吹き込むことはなく給桑できた。雨の日は1日分の桑を前日に採って蓄えておく。ただし人間には当然雨がかかるので、雨合羽を着ての給桑作業だった。

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これは「稚蚕箱(ちさんばこ)」。稚蚕飼育所から配蚕されるときのケースだ。1箱のカイコは3ケースに入ってきたという。たぶん配達専用のケースではなく、この中で飼育したものだと思う。飼育所は町役場の近くにあったというが、この箱からして大部屋式の稚蚕飼育所だったのではないか。

飼育所が廃止になったときに、稚蚕箱を分けてもらってきて、自家の稚蚕飼育で使うようになった。フタもあるそうだが飼育時には湿らせた布をかぶせておくためフタは使うことがなかった。掃立てから3齢までをこの箱で飼育するが、途中一度も除沙はしないという。

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藤原さんは島根の最後の1軒の養蚕農家だった。地域の農協の稚蚕飼育所が閉所になったあとは、岡山県の稚蚕飼育所からカイコを運び、岡山県の飼育所が閉所になったときは、地域の養蚕教師(指導員)に教えてもらい、掃立てから自分の家でするようになった。養蚕という複雑なシステムが先細って消える最後の最後の養蚕農家の孤独な奮闘だったのだろう。

これは桑の葉を切るためのまな板。昭和7年7月10日新調と書かれていた。桑の葉を刻んで与えるのは、掃立てのとき1回だけだったという。

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自分で稚蚕飼育をしたときは、3齢までは箱飼い。4齢からはこの部屋で棚飼いをした。この棚で1箱のカイコを4齢まで飼育できた。

上蔟もこの部屋で行なった。

緑色の機械は「まゆエース」という収繭機。関西地方でよく見かける。60Hzの機械なのか。

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(まぶし)はボール蔟を枠に取付けた、いわゆる回転蔟。

回転蔟のフレームはボール蔟に対してX字型になるタイプと十字型になるタイプがある。これは十字型でフックがプラスチック型のもの。

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竹製の蚕箔(さんぱく)。こちらで特に呼び方はないようで「蚕座」と言っていたそうだ。

これまでに見たことのある蚕箔の中では、比較的構造がシンプルなほうだ。この蚕箔を後の棚に刺してカイコを飼うのが棚飼いである。

蚕箔は目が粗く、強度的にはかなり頼りなさそう。もちろん4齢も全葉育で枝から外した葉だけを与えた。4齢は日数が短いとはいえ、除沙なしで大丈夫なのか不安だ。ちなみに全葉育を「摘み桑(つまみぐわ)」といった。

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蚕箔の縁の部分はホゾに差し込んで、細釘を貫通させて抜けないように作ってある。

もちろんこの骨組みだけでは桑の葉を置くことはできないので、蚕座紙という紙を敷いて使う。

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藁網。藁縄とナイロン紐の組み合わせで作られている。これはおかあさんが主に作ったもので、おとうさんはほとんど手伝わなかったそうだ。

むかしは藁だけで作ったが、途中からナイロン紐が出てきて作るのがかなり楽になったという。

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これが藁網を編んだ治具。名前は特にない。

話には聞いていいたが私は農家で実物を見たのは初めてだ。藤原家では、化繊の網を使わず最後まで藁の網でカイコを飼育したから残ったのだろう。

多くの養蚕農家ではナイロンなどの既製品の網を使うようになり、こうした枠は片づけるか燃やしてしまい、ほとんど残っていない。

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もうチャンスはないかもしれないが、もしも願いがかなうならば編み方を教えてもらいたかった。

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一方で、藁蔟(わらまぶし)は買っていた。自分で作るものではないそうだ。

徳島では自分で編んで作るのが普通だったと思うのだが、地域によって違うものだな。

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養蚕農家がなくなっていくと、必要な道具も手に入らなくなる。稚蚕飼育をするためには、飼育室を滅菌する必要があって、ホルマリン消毒が一般的なのだが、ホルマリンもあるときから農協で買えなくなり、薬局で買うようになった。

殺菌効果も高いが毒性もある薬品のため、家の中で使う場合は、目張りをしてガスが外に漏れないようにしないといけない。

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目張りの跡がまだそのまま残っていた。

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つづいて、桑畑を見せてもらった。

桑畑は家の裏山の「坂畑(さかばたけ)」で「(そら)ばかり」だとおかあさんは言った。徳島でも山地の山の上の土地を「ソラ」と呼ぶ。

それにしても山を登るだけでも杖をつきながらやっと登っていくおとうさんが、よく去年までここで養蚕をしたものだと驚く。桑の運搬は、動力付きの運搬車を使っていたが、運搬車がなければとても続かなかったという。

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このあたりは稚蚕専用の桑があった場所。枝を芯止めして葉を落とすと、そこから小枝がたくさん出るという性質がある。そうやって新芽を増やして、柔らかい葉を稚蚕に与える。葉が硬くなりがちな夏や晩秋の稚蚕飼育のためのテクニックだ。

品種は一ノ瀬。挿木で畑を増やしたという。

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土中育について尋ねてみると、なんとやったことがあるという。

土中育は畑の畝間に溝を掘って、その中でカイコを飼うそうだ。畝間は狭いから溝を掘れば人が歩く場所はない。そのため給桑は隣りの畝からしなければならず、とても不便だった。しかも上蔟のときに畑からカイコを持って帰るのがえらいことだったそうだ。

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上蔟時のカイコの運び出し方は、手拾いといって、糸を吐く準備ができたカイコを目視で見つけ、1匹1匹手で拾っていく方式だった。

一斉に運ぶときには「樫柴(カシシバ)」というカシの木の葉のついたままの枝に登らせることもしたが、カシシバを使えるのは成長がよく揃ったときだけだった。成長が揃わないときにカシシバを使うと、青い(未熟な)カイコまでが登ってしまうことがあり、蚕座に戻す二度手間になるという。

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結局、土中育は不自由ばかりだったので1回でやめ、そのあとは養蚕テントという鉄骨のテントを使うようになった。テント1棟で3箱の飼育ができる養蚕専用の資材だった。

そのあと使うようになったのが、冒頭の写真の簡易ハウスだ。結局それが一番都合がよかったのだろう。ただ、熟蚕が揃わないことの方が多かったという話だったので、はやり野外育は温度などの条件が良くないのではと感じた。

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「桑畑は草だらけだよ」と言っていたわりによく下草が刈られていた。さすが60年のベテラン。

たいへんに貴重な話をありがとうございました。いつまでもお元気でいてください。

(2010年09月20日訪問)