ホーム幻の土中育を求めて

サムネイル

幻の土中育を求めて

養蚕の一手法「土中育」。もう存在しないという事前調査だったが、自分の眼で確かめるため一泊二日で島根県を目指した。

広域地図

2007年~2008年ごろの稚蚕飼育所の調査が一段落し、2009年からは関西の養蚕農家を訪ねる旅をしてきて2年目。養蚕について調べるうちに、養蚕の一手法として「土中育(どちゅういく)」というものがあることを知った。

カイコの幼虫は卵から孵ったときには、数万頭であってもわずかな空間で飼育できるが、終齢幼虫になるとかなり広い飼育空間が必要となる。そのため北関東などでは巨大な蚕室を持つ2階建ての養蚕家屋が発達した。ところが中国・四国の古くから山間部に人が暮らしていた場所では、いまさら巨大な飼育棟を建てる場所もなく、養蚕をやる場所に腐心することになる。

その中で生まれた手法にまず「野外育(やがいいく)」というものがある。農家の庭に粗末なテント状の仮設小屋を建てて、5齢幼虫となったカイコを飼うという手法である。野外であるがゆえ温度管理もできないし、雨の日は濡れながらの作業になるため、決して先進的な農作業とは言えなかったと思う。だが大規模な投資がなくても実現できたことから比較的全国で行なわれていた。私の住んでいる徳島県でも野外育をやったという話は聞いたことがあった。

その野外育がさらに先鋭化したのが土中育とよばれる特異な飼育法だ。野外育が庭に作った仮設小屋でカイコを飼うのに対して、土中育とは小屋の代わりに地面に溝を掘ってその中で飼育するというものだ。しかも農家の屋敷内ではなく桑畑の中で飼うというのである。確かにこれなら平地の少ない農家でもカイコを飼えるので理屈は通っている。しかし冷静に考えてみれば無茶な話である。衛生面でかなり疑問が持たれるし、温度や湿度の管理も自然任せ。しかも養蚕でもっとも忙しい上蔟(じょうぞく)という工程で畑からカイコを運び出さなければならない手間など、メリットに対してデメリットが大き過ぎる。わずかでもとにかくカイコを飼えば儲かった時代ならばまだそういう過酷な仕事もできたろうが、中国との価格競争のなかで大規模化、省力化、高品質化が求められた昭和後半の養蚕にはまったく不向きな飼育方法だと思う。

実際、研究者や指導員がいうほど、生産性の高い手法ではなかったのだろう。土中育は1960~1970年(昭和35~45年)ごろまでしか行なわれなかったという。そしてその土中育が盛んだったのが島根県だというのだ。なぜ島根で盛んだったのかはわからない。単に土中育を熱心に推進した養蚕指導員がいたという人的要因かもしれない。今年は2010年、土中育がなくなったとされる年代から40年が経過している。弟経由で島根県職員の民俗専門家に問い合わせてたのだが「土中育はもうとっくになくなった」という答えであった。

だが、ないと思うから見えないだけではないか、真剣に探せばまだ遺構があるんじゃないか、という思いが募り、連休でもない普段の土日に島根県まで出かけて土中育を探してみることにした。