未舗装の道路は本格的な田舎の村へ入った。村の中央の三差路に高札場があった。
この三差路から下っていく道(写真左)があり、そこがレンコウピャ洞窟への参道になっている。
それにしてもまったく村人を見かけない。かなり閑散とした村だ。
坂を下り切ったところに僧院があり、ここには修行僧が一人いた。洞窟の名前を教えてもらった。
洞窟はナウタニェ丘陵の南側外縁部の小山にあった。
洞口の高さはわずかに登っているように見えるが、むしろ洞窟の前が窪地になっているという感じだ。
洞窟の前は沼のようになっていて、沼の中には
この洞窟はミャンマー人のSNSで一度見かけたのだが、職場のスタッフに尋ねても場所はわからずじまいだった。二度目にSNSで見かけたときに、この浮御堂がわずかに写っていた。立地的に特徴がある建物なのでこれを衛星写真で探し出し、この洞窟の場所を特定したのだった。
洞口の前は平地に造成されていて、山ぎわにはたくさんの仏陀が並んでいる。総数は40体以上はありそう。
28体仏というのをよく見るが、その次の数ってあるのだろうか。
その前にはムチャリンダ仏。
立像のムチャリンダ仏は初めて見たかもしれない。立像では傘蓋仏というのがあるので、ムチャリンダ+傘蓋の融合したものなのか。
いきなり主洞に入らず、境内を隅から順番にチェックしていこう。
境内の左隅には仏龕を光背にした仏像がある。その背後に岩の割れ目があり、道がありそうなのでまず入ってみた。
これは洞窟というより、崖の斜面が剥離した割れ目のような道でしばらく進むと行き止まりになっていた。
崖の上を見上げると、小さな洞窟があるが人間が入るにしてもほふく前進でないと入れない大きさ。たぶん、穴ではなくただの窪みだろう。
次に、写真手前の穴に入ってみる。
この穴には外の仏陀の並びの続きが収まっているが、そのさらに奥がある。
ここにさらに40体ほどの仏陀があった。
洞窟自体は50mほどの深さで行き止まりになっていた。
続いて主洞のほうへ入り直す。
主洞の前には竹で柵のようなものが作られている。ブルーシートが掛けてあり日除けを造ろうとしているのかもしれないが、この強度では台風のときなどにひとたまりもないだろう。
主洞の内部にも先ほどの40体以上ありそうな仏陀の続きがある。ちゃんと数えればよかったかな。
想像していたより大きな洞窟だ。にもかかわらず、まったく人の気配がなく、私一人がこの洞窟を独占している状態。
こんな立派な洞窟寺院を田舎の村に造り、結局だれも参拝していないというのがいかにもミャンマー的。
しばらく進むと床が高くなって寝釈迦が見えてくる。
この階段の手前で履物を脱いでいけばよさそう。ミャンマーの鍾乳洞は寺なので、内部では履物を脱ぐのがルール。このくらい床面が整備されていればそのルールに従いたい。
寝釈迦はけっこうな大きさ。日本的には大仏なのだが、これを大仏として索引してしまうと、ミャンマーの寺の多くに大仏の索引を付けることになってしまうので、当サイトではミャンマーの仏像の大仏基準はきびしくしている。
寝釈迦の前に跪拝用の床が3つ作られているが、コウモリの糞が積もっているので、軽く礼拝するだけで許してもらった。
寝釈迦の向かいには乾いたリムストーン。
寝釈迦の裏側には大きなフローストーンがある。
寝釈迦から右のほうへ主洞が続いている。
貫通型の洞窟のようで、奥のほうからも光が差している。そのおかげで、照明設備はないのだが、ほとんどの部分は懐中電灯なしでも歩ける。
巨大な石筍がある。
主洞を進むと、階段で登るルートと、降りるルートに分岐する。
降りるルートは支洞だ。
この支洞は外光が届かないので懐中電灯がないと入れない。
深さは30mくらいで、中には仏像が乱雑に押し込んであった。倉庫といった風情。
続いて階段を登ってみる。
ここでは斜め上の方向に大きなホールになっていて、何ヶ所か外光が差し込む穴が見える。
しばらく進むと裏側に出た。
このへんは未整備でちょっと裸足では歩けそうにない。
外に出てみたが特になにもなかった。
(2019年02月25日訪問)