AH1号線をパアンから郊外に向かって走るとゲートがある。ズェガビン東登山道の入口だ。AH1号線は宿と現在の職場を結ぶ道路だから、このゲートの前は200回以上は通っている。
この東参道のゲートを入ってすぐのところにパステルカラーのパゴダがあるのに気付いたのは、初めてパアンで仕事をしたときのことだ。休みの日に三輪タクシーをチャーターしてこの道を通ったのだが、観光で立ち寄るパゴダではないため素通りされてしまった。
そのころはまだ市の中心地で仕事をしていたし、オートバイも所有していなかったので、この場所はずいぶん遠く感じたものだ。
だがその後、パアン近郊をくまなく見てまわるようになっても、初見で素通りしてしまったパゴダには中々立ち寄ることはなかった。やっぱり最初が肝心なのだ。
このままだとこのパゴダには最後まで入らずに終わってしまいそうだったので、仕事の合間に一人で訪れてみた。
初めて見たときからはペンキが塗り替えられ、一部カラーリングが変わっているものの、相変わらずパステルカラーを基調にした明るい雰囲気のパゴダだ。
山門を入るとすぐにタイル敷きになっているので、山門のところで履物を脱いでいくのがよさそう。
入るとすぐ右側には講堂のような空間がある。
その内部の様子。
講堂の反対側には鉄格子の嵌まった部屋がある。
こういう場所にはたいてい神像が置かれているか、聖人紹介所になっている場合が多い。
中にあったのは、毘沙門天(手前)と、ズェガビンの行者(奥)と思われる像。
真ん中にある樽みたいなものはカレン民族のシンボルである戦鼓。
さらに進んでいくと、お坊さんの控え所のような場所があった。
現在は無住で、お坊さんはいない。
この控え所の反対側はパゴダがあるのだが、境内が狭過ぎて引きがたらず、全体が見えない。
仕方がないので裸足のまま外に出て、寺の外から写真を撮った。足の裏が痛い。
パゴダは全体に白いタイルが貼り付けてあって、ペンキの塗り直しの必要がない。珍しいタイプではないかと思う。ほとんどのパゴダは、漆喰仕上げの上に白いペンキか金色のペンキを塗って仕上げられているからだ。
対になるタコンタイはてっぺんにはカレン民族のシンボルの戦鼓と水牛の角。これも珍しい。
講堂の裏にはまったく用途がわからない吹きさらしの建物があった。
このパゴダは道路をはさんで反対側にも建物がある。
このパゴダの名前なのだが、後日通訳さんに読んでもらったら「ドゥエイパゴダ」というらしい。
え? それって5年前にズェガビン山の西麓で行ったことがある寺院と同じだ。
そしてそのときたしかズェガビン山の東麓にも末寺があるような話を聞いた。それがここだったんだ!
RPGで伏線を回収したような感動。
そのときの説明では結婚式に関係する宗派だというようなことだったので、この明るい色使いの堂宇はすべて結婚式場として作られたからなのかもしれない。
道路の反対側の建物は披露宴会場なのではないか。
隣りの建物は新郎新婦や親族の休憩所か。
中を覗いたが、鉄板で部屋がふさがれていて、使われている様子はなかった。
奥には井戸があった。
この寺が結婚式場に特化したものだと仮定すると、もうひとつ引っかかっていた謎も解けてくる。
このパゴダのすぐ近くに、以前に演芸場として紹介した建物がある。中には楽団の備品のようなものも置かれていたし、日本の田舎の芝居小屋や映画館からの連想で演芸場にしか見えなかったのだが、あれもこのパゴダの関連施設ではないのか。
これまでミャンマーの田舎で他に常設の演芸場というものを見たことがなく、なぜここにだけぽつんと演芸場があるのか不思議だったのだが、結婚式の披露宴のための設備だと考えると合点がいく。
(2019年02月27日訪問)