ここから少し古い内容になる。2002年8月末、私は遅めの夏休みを取って「広島の仏殿と屋根付橋」を巡る旅に出ようとしていた。徳島に転居してから初めての泊まりの旅だ。この旅についてはすでに「1日目」から「4日目」まで約130ページの記事を書いているが、実はそこで触れなかった「0日目」が存在するのである。これからその0日目のことを書こうと思う。
目的地の広島で午前中から活動するために、前日の夜のうちに宇高連絡船で岡山に渡り、広島県内で車中泊する計画だった。そのために私は徳島市内の自宅から高松を目指して国道192号線を西進していた。
川島町に入る少し手前の交差点で信号待ちをしているとき、ふと、バックミラーが気になった。普通であれば信号待ちで後ろなど見ないのだが、虫の知らせとでもいえばいいのか、そのときに限ってなぜかじっと見つめていたのだ。
私は信号の最後尾にいたので、後ろから接近してくる軽トラックがよく見えた。「ちょっと減速のタイミングが遅いドライバーだな」などと思って見ていると、その車はほぼ減速せずに突っ込んできたのだ。ドライバーは直前で気がついて大きくハンドルを切ったので、私の車の左後ろに軽くぶつかっただけで、大きな事故にはならなかった。
信号待ちで停車中の車への衝突だったので先方の保険で修理するということになり、警察を呼んで事故処理。これから泊まりで旅行に行こうというのに、出ばなをくじかれた格好になってしまった。
このまま広島へ向かうか、それとも、いったん出直すかを少し落ち着いて考えなければ。
それと破損したテールランプの状態もよく確認したかったので、近くにある川島城の駐車場へ車を入れた。テールランプのカバーは壊れていたが、ランプ自体は正常に点灯していたので、走行に問題はないことがわかった。
すでに有休を取っていたのでこのまま広島へ向かうことを決心。でも、せっかくなので川島城の周辺を少し見ていくことにした。
川島城は蜂須賀家が整備した
城山は吉野川の右岸で川のギリギリのところにある独立丘陵。吉野川の南岸、北岸のすべてににらみを利かせることができ、築城するには好適地といえるだろう。
現在の天守閣は本来の史跡とは関係のない模擬天守。
阿波九城のうち撫養城も模擬天守だった。模擬天守率が高いな・・・。
徳島には県南に日和佐城という模擬天守もあり、模擬天守が好きなお国柄といえるのではないか。
模擬天守のデザインは大坂城をモデルにしたと思われる端正な姿。
まぁ、キモい形にするよりはいいけれど、模擬天守だし美醜を論じるような対象でもないだろう。
(2002年08月25日訪問)