交通安全ノ碑

子を交通事故で亡くした個人が建てた像。

(愛媛県伊方町川永田)

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現在、佐田岬半島の主な交通路は国道197号線である。半島の尾根を通り、橋とトンネルの連続でカーブも少ない快適なバイパスだ。だがそのバイパス道路が着工したのは昭和47年、完成までに15年かかっている。伊方原発とセットの事業だったのか。

いま通っている海岸線に沿った道は以前の国道で、かつては佐田岬半島を往来する車両がすべてこの狭い道を通っていた。ここなどはまだ広いほうで、等高線に沿ったカーブだらけの一車線の道が佐田岬までくねくねと通じていたのだ。

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Y字路に大きなコンクリ人形が立っていた。

等身大の赤いランドセルを背負った小学生のコンクリ像で、「交通安全ノ碑」と書かれている。碑文を見ると、昭和42年にこの場所で長女を交通事故で亡くした人が、昭和44年に自ら像を造形し、この碑を建てたという。

いまは静かな道だが、昭和40年代には通行量も多く、安全を祈願しなければならない場所だったのだろう。

碑文はたぶん次のとおり。(ルビは追加した)

交通安全ノ碑

昭和四十二年十一月八日私の長女は交通事故の犠牲者として突如この()を去り悲嘆の底におちいるけれどもこの悲しみは私一人のものとして再びこのような悲惨な事故が起らぬよう只管(ひたすら)交通の安全を祈念しつゝ(つつ)自からの手で()の像を刻む

昭和四十四年五月吉日

兵藤寛一

・・・コンクリ像かと思ったら、もしかして石像なのか。

(2007年04月29日訪問)