私が徳島に転居した2002年、地域の様子を知るために神山町によく出かけた。私は徳島市内の鮎喰川のすぐ近くに住んだので、まずその流域から見ていこうと考えたからだ。
神山町は徳島市内から先行谷を抜けたところにあり、都会の風も届かないな美しい山里だ。いい売り家が見つかれば住みたいと思っていた大好きな地域なので、いつか細かく紹介していきたいのだが、このころGPSがなかったため、撮影箇所の特定不明の写真が多く困難な作業になるだろう。
さて。
これまで紹介してきた映画館は繁華街や街道筋にあった。だが徳島でもうひとつ映画館が建つ立地がある。それは鉱山だ。
広石鉱山は中央構造線の南側の山脈にある鉱山で、大ざっぱに言えば、愛媛の別子銅山とつながる地質にある。
川島の映画館を紹介したとき、川島駅は鉱石の積み出し駅だったことを書いたが、その鉱石はここ広石鉱山からも運び出されていた。
現在は閉山しているが、わずかに鉱山があったころの面影を感じさせる建物も残っている。
この建物などは農家の納屋ではなく、鉱山時代の事務所か住宅だったのではないか。
かなり古そうな建物で、戦前くらいはいきそう。
近くには保養施設もあった。
日帰り温泉、広石温泉跡。
浴室は狭く、数人が入るのがやっとだったろう。
禁忌適応症の案内に「本鉱泉はカドミウムを含有しているので飲用は不可です」と書かれている。
大丈夫なんか!?
そういえば高越鉱山の跡地にある温泉、こうつの里でも一緒になった常連客から「ここのお湯は重金属が入っているからお湯で顔を洗ったり目にいれたらいかん」と言われたことがある。
その隣りの更地にもかつて鉱山の建物があったという。
鉱山周辺の農家。
徳島県に多い四方蓋造り。
鉱山労働者相手のお店だったかと思われるしもた屋。
農家の納屋か。
見慣れないカゴがあった。
この道路の東側が鉱山だったエリア。
坑道掘りの銅と硫化鉄の鉱山で、現在は巨大なズリ山が残っている。
この石垣の上に少し平地があり、映画館はこのあたりにあったという。
この鉱山は山村の谷をさらに奥に入った不便な場所だが、操業していたころには多くの労働者がいて、厚生施設として診療所や映画館などがあったのだ。
ただ、町場の映画館のように、毎日作品を上映していたのかはよくわからない。集会所か体育館的な施設で、映画も上映できたというだけかもしれない。
せっかくなのでズリ山に登ってみるか。
赤く見えるのは鉄分を含むズリか。
かすがいが落ちていた。
だいぶ登ったな。
神山町は林業が盛んな場所で、山林のかなりの部分がスギの人工林だ。
だがズリ山は地底から掘り出された、有機物のない石だけで出来た山なので、他の場所と植生が違い、松くらいしか生えていないのでそれとわかる。
ズリ山のような表土のない裸地には樹木は生育できず、最初は地衣類やコケなどが進出する。
こうした植物は水と太陽光があれば生存でき、少しずつ表土を形成していく。
少しでも土ができるとススキなどの草本が現われ、表土が増えていく。
その痩せた表土に最初に進出する樹木を先駆樹種という。ここでは赤松が主役になっている。
松は根に菌根菌を持ち、土壌に必要な栄養素がなくても根を張れる砂地があれば成育できるからだ。
表土が豊かになると松は他の樹種に場所を譲り、深く暗い森になっていく。
こうした、まったくのゼロからの植生の遷移は噴火の後に見られるが、鉱山のズリ山でも観察できる。
ズリ山の上から西側の集落方向を見たところ。
この中央左寄りの鉄塔がある方向に、かつて索道があって、美郷村の東山鉱山へ鉱石を運んでいたという。東山鉱山とここ広石鉱山は同じ会社の鉱山だった。
鉱山はとても広い範囲に広がっているのだ。
聞いた話では坑道はとても長く、東側の尾根を貫通して山の反対側にも坑口があったそうだ。
ここ広石は神山町の中でも山深い不便な場所なのだが、坑道を通ると鮎喰川中流の中心地広野へ近道だった。広石へ来る郵便配達員は坑道の中を通って郵便物を運んで来たという。
他になにか残っていないか山の中を歩いてみた。
石組み。かつて何か建物があった場所だろう。
石風呂らしきものを発見。
中で柴などを燃やして加熱してから入った、昔のサウナだ。
これはトイレの跡かな。
石を切って造られた平地。
いまでは寂れた山奥の村だが、鉱山が操業していたころの痕跡はまだかすかに感じられた。
(2002年09月21日訪問)